第4回コラム
「千年の風を読む・・・」
創造技術専攻専攻長 福田哲夫
春一番は、毎年その時期になればやってくる。被害をもたらすこともあるその南寄りの強い“風”は、また二番三番と吹荒れ、繰り返すことにより本格的な桜の季節の到来を私たちに告げてくれる。
周辺の再開発により現れた高層のビルは、みなどれも効率の良い直方体で壁面は滑面で光っている。南側だけではなく、反射した冷たい太陽も我が家の北側を突然照らすようになった。さらに二つのビルの隙間からは時に“ビル風”がまるで嵐のように吹荒れ、歩けないことさえある。しかし周囲の植栽を見ても、か細い葉の一枚一枚は強風にあってさえ、落葉はしていないのである。
そこで「高層ビルの輪郭線は、シンプルな直線よりもジグザグで凸凹のある線の方が生活環境には良いかも知れない…」という仮説を導き出した.。観察から得られた発想はスケッチにまとめ、引き出しの中で発酵させ、実用化への機会を伺っている。
この仮説は、“ビル風”の体験とその後に訪れた千年に及ぶいにしえの風に耐え抜いてきた五重塔見学の際のスケッチにより、確証を持つに至るのである。
かつて、京都九条にある教王護国寺を拝見する機会を得た。国宝の建築伽藍や講堂内の立体曼荼羅などでも知られる通称東寺で、その五重塔は新幹線の下り線左側車窓からも眺めることができる.
朝早の未だ肌寒い頃、手前の広場にてご開帳の時を待つ。退屈しのぎにいつもの無地B5版ノートを取り出す。わたしはカメラを持ち歩く習慣がない、というより身につかないのでメモ用紙やスケッチブックの代わりとして日常的に使っている。旅に出る際には日記代わり、また何でもここに資料等スクラップもしてしまい、家路につく頃にはその厚さが倍にまで膨れあがることもしばしばである。
愛用の筆記具は、これも定番のサインペンS520で五重塔の頂上右側から時計回りに、筆圧をかけず一気に描き進めてゆく。
宝珠や水煙から九輪、その台座から下は風雪に耐えてなお瓦の一枚一枚が見事な曲線美を誇る。屋根瓦面が重なる先端には軒瓦などが続き、屋根裏には精緻な組木が上の瓦の重量を受け確実に千年余を支えている。隅木、肘木、尾垂木、欄干部廻り縁、そして次の下層屋根へと五層分を繰り返して、1分程の注意深い素描は終了する。
わずかな時間ながら、優美で流れるような線はどこにも見当らず、五重塔の輪郭線は皺のように複雑な凹凸線の繰り返しであることに気付く。
それは、背景に松の樹を描き加えた時だった。指先が感じたその線の勢い、というよりも渋滞感はまるで五重塔を描いているようであった。樹木の葉の一枚一枚が嵐にも堪え、幹や枝から落葉することがないように、五重塔が倒壊することなく千年余の嵐に耐えてきたことは、境界層における空気の渦に注目すれば納得できること。これまでの定説である地震に堪える構造的な理由を超えてそのジグザグの凹凸線に秘密があるのではと考えるに至った。
大発見をした気分である。スケッチを詳細に描いても気付きにくい、また単純化作業の多いモダンデザインの流れの中では、大胆に三角形を五つ重ねたような形を描いても五重塔の本質を写すことにはならない。ましてや風雪に耐えてきたその本物の技術と文脈までは到底知ることは出来なかったであろう。
そういえばエッフェル塔にも同じことが言えそうである。その総重量は驚くべき軽さだという。石造アーチに対して、剥き出しの鉄素材による逆反りの曲線で三百メートル上空までせり上がる形態は、当時の知識階級でさえ理解できず、景観を壊すものであると悪評であったという. しかし錬鉄を使ったその発想は軽量骨構造を生み出し、レース模様のような穴を通過する際に“風”を弱める効果も生み出している。結果は何とも美しい形態として、世界中の人々を今日までもなお魅了し続けていることは、構造力学を越えた流体力学のお陰でもあろう。
これまで、高速鉄道車両のデザインに関わってきた。“風”がテーマの流線形では「速度の美学」としか語られることはなかったが、「快適の美学」としての可能性を一貫して提案し続けている。
新幹線の客室デザインでは、荷物棚下を翼断面にした空調吹出し口の提案により、快適環境へと導き省エネ効果を導き出している。また新概念で構築した先頭形状は、騒音を抑え動揺を止め、快適移動空間へと進化させることに成功している。いずれも“風”がテーマの工学的なエンジニアリングと美学的なスタイリングの組み合わせによる快適デザインの提案で、ものづくりにおける感性価値向上を目指してきた。
統合的職能であるデザイナーの“ひらめき”は、時としてコンピュータの解析よりも速く解答を導くことがある。
樹木万年の知恵と五重塔千年の匠、そして鉄塔百年の技は、それぞれ自然界の“風”によって磨き上げられ、美しい形となって現代のわたしたちに語りかけてくる。
水飴のようにまとわりつくが見えない“千年の風”を読み、そこから未来を構築するタネは、案外すぐそばにあるのかもしれない。