English

第37回コラム
「ネトゲと写真と学習と」

創造技術専攻 助教 網代剛

 リレー連載コラムも、2順目に突入しました。今回は「ネトゲと写真と学習と」と題し、ネトゲ(ネットワークゲーム)を、学習モデルの切り口で観察し、写真の話題を絡めつつ、私の追いかけている学習像を、記してみたく思います。

 はじめに、ネットワークゲーム。インターネットなどの通信回線を利用し、複数のプレーヤが同時に対戦できるタイプのゲームです。囲碁や将棋などの伝統的な遊戯をオンライン化したものから、非常に凝った架空の世界を表現しているものまで様々です。私も、流行のキャッチアップを言い訳にしつつ、年甲斐もなく楽しんでいます。次いで、学習モデル。私たち産業技術大学院大学でのPBL (Project Based Learning) の ルーツのひとつに「循環的学習」というモデルがあります。(図1参照)これは、次の4つの過程を、学習者が“自律的に”繰り返すことで、学習者の技能が向上してゆく-というもので、本学コア・コンピテンシーのひとつ「継続的学習」にも繋がります。
(1)事象を観察し、(2)(観察に基づいて)仮説を構築し、(3)(仮説を検証するための)行動計画を立案し、(4)実践する

ネトゲX学習モデル
 ネットワークゲームを、循環的学習モデルを切り口に観察してみます。ネットワークゲームでは、様々なプレーヤと出会います。そうしたプレーヤを「ゲームの攻略法」を“どういう経路で入手“しているかによって、大きく2つのタイプに分けてみます。1つめのタイプは、自ら試行錯誤しつつ、ゲームの攻略法を発見するタイプのプレーヤで、循環的学習モデル(図1)にピタリと当てはまるプレーヤです。2つめのタイプは、第三者が発見した攻略法を、知識セットとして入手するプレーヤで、循環的学習モデルとの対比では(図2)のようなプレーヤです。

第37回コラムの画像1
第37回コラムの画像2

Wiki が あるじゃないか
 ただし、今日のネットワークゲームは、大変規模の大きいものでして、一昔前のシミュレーションゲームのように、ひとりでゲームのすべてを解き明かすことは、もはや現実的ではなくなってしまいました。ゲームを遊ぶ側も、ゲームを作る側も、SNS等による知識の共有を前提としているようです。こうした環境でも、メディアに情報を発信できるプレーヤ(ゲーム全体ではなく部分的の攻略法-例えば、特定の条件における宝物の在り処-を、探索し、法則化できる)と、メディアから情報を発信できないプレーヤとは、確かに存在するようです。

Wiki の 威力
 当たり前ですが、ゲームは「攻略法」があれば勝利できます。また、囲碁や将棋と異なり、今日のネットワークゲームの多くは、情報化できる「攻略法」が存在するようです。ですから、多くのネットワークゲームで、勝利するためには、最新の攻略法を入手できればよいことになります。
一方、ゲームには、自ら攻略法を解き明かす-という楽しみ方もあります。そこで私は、自分なりに工夫はしてみるものの、私などが紡ぐよりも遥かに洗練された法則が既に発見されており、まったく歯が立ちません。おそらく高校生くらいと思われるプレーヤから「そんな事も知らないんですかっ!」-と、顔文字つきで叱責されることも日常です。(少々“負け惜しみ”を言わせていただけるなら・・・「おい、お前、それ、誰かから聞いた事だろう」-と、いつか言い返し「自分で考えたことと、人から聞いたことの区別、できてないだろう」「お前、それでゲームしてるって言えるのか」と、いつか説教してやりたいのですが・・・。)とまれ、目の前に見せ付けられる事実として、そんなプレーヤたちに勝てないのです。正に、速やかに最新の知識を伝達する「教育の力」を、まざまざと見せ付けられる思いです。

目的は何よ?
 さて、本題に帰ってきましょう。「ゲーム勝つ」ことが目的ならば、最新の情報を入手し続ければよい訳で、タイプ2(情報を受け取るのみ)のプレーヤを多数そろえれば、圧倒的な力を得ることができます。ところで、目的を「攻略法を開発できる人材の育成」としたならば、話はだいぶ異なってきます。ゲームの勝利とは、別の文脈-例えば教育などの支援が合理性を持つように思います。
ここで、タイプ1のプレーヤの数に注目します。ゲームの数が増えてゆけば、より多くのタイプ1のプレーヤが必要になります。ネットワークゲームの話題を、そのまま現実世界に投影するのは、大きな飛躍があることを承知の上で、もし、将来にわたり新たな産業の創生を、社会的な目的のひとつにするなら、タイプ1のプレーヤの育成方法の研究も、相応の意義を持つことになりそうです。一方で、タイプ1のプレーヤの育成については、今のところ“発展途上”であり、私の研究の関心でもあります。偶発ではなく、人為的なタイプ1のプレーヤ(自律的に学習できる人材)の育成を、効果的に支援する方法の開発を目指して試行錯誤を続けています。

写真X野望
 さて、最後に写真のお話を-。創造技術専攻では、今春、夢工房に撮影スタジオを整備しました。目的は、学生さんの作品を記録として残すことに加え、試行錯誤の中から、作品が美しく見える構図や照明を発見する試行錯誤の機会の提供を狙いました。撮影の目的が「美しい絵を撮る」(ゲームの勝利)ならば、教本等を用いて、学生さんを、ある程度の水準に引き上げることは可能だと思います。しかし、本学の育成する人材は、カメラマンではありません。是非とも、試行錯誤を通じて“オレ流・攻略法”の発見に挑戦してほしいです。(もちろん写真は十分に試行錯誤の領域を持っています)嬉しいことに、まだ少数ですが、スタジオにはりつき、撮影に没頭している学生さんの姿を見ることができます。訪ねると「光や角度でこんなに表情が違うとは思わなかった」「肉眼では見落としていた作品の欠点が見えた」「難しいけど、楽しい」といったコメントが帰ってきます。-整備して良かったと思える瞬間であり、学生さんを頼もしく思える瞬間でもあります。
しかし、ただ機材を提供して「さぁ、試行錯誤しろ!」では、教育プログラムとしては、甚だ不十分です。(おそらくネトゲと同じ結末でしょう)どうしたら、より多くの学生さんが、観察から問題点を発見できるようになるのか、どうしたら、ゲームの勝利(情報の提供)と技能の育成を適切に切り分けることができるだろうか、最先端の競争の中では、知の体系に適切に参加できるコミュニケーション能力も必要だろう、個人ではなくチームで、新たな着想を得るクリエイティブなチーム力も必要だろう。教育のプログラムとして、客観性や効率も高めてゆかねばならない-悩みつつ、未開の地平を切り開く気概を持ちつつ、歩みを進めてゆきたい。

第37回コラムの画像3

PAGE TOP