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第142回コラム「AI技術がもたらす猛威と虚空」

2022年6月8日

黄 緒平 助教

 人間は常に未知の世界を操縦する欲望に凌駕されている。
 2000年代の映画における人工知能の登場がその証である。映画「バイオハザード」に、アンブレラ社が開発した最先端かつ高性能なメインコンピュータが地下研究所ハイブ全体を統御する。T-ウイルスによる世界支配をもくろむアンブレラ社の中枢的な存在で、未知の世界に生きる全知全能がホログラムを介して、可愛らしい少女の姿で、戦闘する人類アリスの前に現れる。情報提供だけでなく、人間の声を持ち、人間と会話しながら巨大な力を発揮する。ドラマ「スーパーガール」には宇宙人の支配者であるママが死後ホログラフィ写像になって、知恵の共有や感情の慰め等でスーパーガールを応援し続けた。まさに知性の延伸だ。
 時には、空想力は意外と役に立つ。2022年の今現在、もうすぐ1歳5か月の我が子が言える言葉はパパ、ママ以外には「アレクサ、電車、NOW」である。そして、Amazon社の開発した優しい女性のスマートアシスタントが喃語を認識して、YouTubeで電車の動画を再生する。AI技術はもう日常に浸透している。Google社の開発した音声合成技術、MITが公表した口の動きと声を同期させるリップシンク技術、更に自然の人間顔写真自動生成技術が人工知能を具現化した。AAAI、IJCAI、NeurIPS等のトップカンファレンスでStarGAN, Talking Heads等の人工知能系技術が日進月歩だ。
 但し、技術の進歩はいいことだが、実社会への還元と運用には役に立つだけではなく、時に悪役に加担することもある。何故なら、AIを駆使しているのはもっと複雑な脳神経システムを持つ人間だ。アニメ「名探偵コナン」の一つの名シーンは幼児化された小学生の主人公が蝶ネクタイ型変声機を使い、毛利探偵に成りすますことだ。様々な謎を突き詰めるために大人の身分が必要だ。正義の大義名分で他者なりすましは正当化される。単刀直入に言うと、こうした技術が悪用されると社会に潜む大きなリスクにもなり得る。声を真似て他者なりすますオレオレ詐欺は世の中の共通価値観を動揺した。更に、アメリカ大統領の演説のなりすまし動画が国際会議で公表され、公的私的にも恐ろしい脅威になっている。
 とはいえ、AIには両面性を持っている諸刃の剣である。声や写像を模擬して、故人や会いたくても会えない人の現像と会話出来て心の慰めにもなる。情報倫理観次第だ。
 情報倫理観についてまだまだ議論が必要だ。医学界隈では遺伝子編集等の新技術が誕生した際に、フランケンシュタインみたいな怪物が作られないように倫理指針が策定されている。さて、対人的情報処理分野ではどうだ。生と死、前世と来世の行き渡りは東洋と西洋に問わず、宗教や文学作品に示唆され、人間の本性や存在自体を問い掛ける弁証法的唯物論に基づく作品に多数議論されている。仏教のお経文「往生呪」では形而上学でロゴス的な思惟によって世界を認識し、死生を超越する生命体の延伸を舎利子という抽象的な存在に心身を寄せて、生命の存在を不可知論で解釈する。要は、我々人間は五感を持って様々な感受性で他人と接している。人間は生きる限り、喜怒哀楽に左右される。健全な人格及び安定な精神状態を維持させるのは、自身及び他人と接する際に感じ取ったフィジカル的な温もりだけではなく、学識や品位等生命体が持つサイコロジカル的な部分にも依存する。そこで、AIが精に凝縮している精神的な部分を具現化、あるいは再現した。
 これまで、大阪大学の石黒浩教授の作ったご本人にそっくりなアンドロイドや本人の性格の伝承と見られる会話までできるマツコ・デラックスのアンドロイドが話題を呼んだ。まるで分身を作る事ができるようになったご時世の到来だ。また、2019年度紅白歌合戦にAIが美空ひばりさんの歌声を再現し、故人が甦ったかのように本人そっくりのアンドロイドも登場した。AIが一般人でも触れる事のできる実用化を迎える時代になった。
 当時は「感動」と「冒涜」の賛否両論だったが、AIの日進月歩が人類文明に大いに貢献した。フィックションの幻想を技術で実現した訳だから。その反面、グラビア動画に知人の顔をすり替えてエロシチズムの濫用も次第に出現した。技術の濫用が情報倫理観に抵触した事例だ。光があれば影がある。AIが悪いというよりはそもそもAIが誕生した世界には魑魅魍魎が横行して倫理道徳が錯綜な人間社会だ。AIの使い手に善悪正邪が対立する。AIによる犯罪や不正を更正する法律がまだ不完全である。社会のモラルを問う。医学会のクローン技術が誕生した際に同様な議論があった。ただ、クローン技術が唯一無二の生命体を遺伝子レベルでコピーするが、AIは感情や精神論の意味でのコピーで、「人権」や「人格」が侵害されているような「媒体」自体は存在しない。一方で、マインドコントロールで人を物理的に動かせる事ができる。
 これを懸念して、軍事への濫用も注意喚起されている。2022年2月に、米FreeThink社が「Should war robots have “license to kill?”」(戦争ロボットは人を殺す権利があるのか)と題した動画を公開した。近未来ではなく、現在進行形のハイブリッド戦争にサイバー攻撃と共に軍事ドローンによる無人攻撃や、更に近い将来にAI技術が開発した自律型殺傷型ロボットの存在が懸念される。「無人兵器の未来:AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争」の著者のポール・シャーレ氏が登場し、自律型殺傷兵器の脅威を伝えるイメージ動画とともに訴えている。ロボットには人間のような理性はあるのか。あるいは、ロボットは人間の弱点を無くして、人間を超越できるのか。
 躍動する人間の欲望、欺瞞と邪悪をどう制約するのか。グレーゾーンが間違い無く蔓延していく。情報倫理研究界隈が直面している喫緊な課題だ。生霊について議論したのは我々霊長類のみだが、我々人間の知性で把握出来ている時間と空間より遥かに超えている無限浩瀚な宇宙の彼方には、広大で未知な世界がある。せめてその未知の世界を浄土のまま、クリーンな情報社会の「今」を作り、それを後世に残していきたい。

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