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第121回コラム「A lockout 」

2020年6月26日

川田 誠一 学長

 本学だけではなく日本の多くの大学では新型コロナウイルス感染症の拡大で2020年度当初から遠隔授業を実施してきました。大学の認証評価制度もあることから授業の単位取得のための講義時間、予習復習時間、最終試験を厳格にすることが徹底される中での遠隔授業の実施です。録画講義の単なる視聴だけで単位が獲得できるはずもなく、LMS(Learning Management System )と呼ばれるオンラインの学習支援システムを使って、出席確認に代わる視聴管理やレポート出題、回答、質疑討論などがなされています。
 遠隔授業は簡単に導入できるものではなく、多くの大学で混乱が発生しました。Facebookにそのような混乱に対して問題共有して解決をしようというグループも立ち上がりおよそ2万人の大学教員が参加して困ったことや解決案をアップしてきました。
 本学では教員組織と職員が連携して事前準備を早くから進め、5月初旬から授業を開始しました。入学式やガイダンスも実施できない状況で大学IDによる学生とのメール開通確認やガイダンス資料の事前送付、担任教員と学生との連絡などを進め、学生諸君の協力とご理解もあり何とか第1クォーターが7月1日に修了します。
 この間、私が大学に入学した頃にも同じようなことがあったことを思い返していました。同じようなことというのは大学のロックアウトです。しかしその事情は全く異なります。
 私が大阪大学に入学した昭和48年は、前年の昭和47年2月にあさま山荘事件で機動隊員や民間人が死亡する事態の中犯人の学生5名が逮捕されたことや、同じ年の5月に日本赤軍がイスラエルのテルアビブ空港で乱射事件を起こし、犯人の一人である京都大学生が死亡するなどのことや、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問し東西冷戦にも大きな変化があり、過激な学生運動が急速に下火になり始めた頃でした。
 しかし、受益者負担原則の政策で大学の授業料値上げ計画がスタートして、昭和48年入学者から国立大学の授業料が前年度の年間1万2000円から3万6000円に3倍に値上げされたことから、学生運動の方針が授業料値上げ反対に変わっていました。ただ、当時でも大学生が家庭教師のアルバイトをすれば一月2万円程度の収入があり、国公立大学の学生は私大に比べて優遇されているとの声も大きかったのは事実です。
 国公立大学の授業料はその後も急激な値上げを続けて、平成元年には年間33万9千600円になり平成15年に52万800円になった後、微増して現在に至ります。今は、大学授業料の無償化の議論がなされるような時代になり、隔世の感があります。
 さて、昭和48年4月に大学に入学してすぐ、体育会の柔道部、アメリカンフットボール部、重量挙げ部などから勧誘され、何となく友人数名を誘って重量挙げ部に入部して私の大学生活が始まりました。
 普通に授業が始まったのですが、授業中にヘルメット姿の学生数人が乱入し演説をさせろと教授に掛け合い、5分なら許すと時間をもらいながらいわゆるアジ演説をする。こんなことが日常的にありました。興味半分に学生集会に出てみると教養棟の大講義室はタバコの煙で霞んでいて、教壇で演説をしている学生に反対する学生たちが罵詈雑言の言葉の暴力だけではたらず燃えたタバコを投げつけ、火のついたタバコが宙を舞う姿を見て、ただただそのエネルギーの凄まじさに圧倒され立ちすくんでいました。
 統計学の授業中にアジ演説の学生が退室した後の教授の言葉を今でも覚えています。「皆さんにお話しておきます。学生運動をするなとは言いませんが、内ゲバだけはやってはいけません。私の知っている学生で内ゲバのため半身付随になり病院生活をしている人がいます。あれはいけません。」
 大学に入学したばかりの18才の私にとって憧れのキャンパスで次々と降ってくる非日常的な体験が始まり、背伸びばかりして大人ぶっていた高校時代が遠い遠い過去になってしまいました。ある日同級生がヘルメット姿で角棒(ゲバ棒)を持って建物の前に立ちはだかっている姿を見かけるようになり、大学が完全にロックアウト状態になったことを知りました。
 阪急電車の石橋駅から坂を上ったところが待兼山、そこにある池の横からキャンパスの最初の建物であるイ号館にたどり着くと建物の扉に大きなチェーンが巻かれチェーンの両端が大きな南京錠でロックされています。言葉通りのロックアウトです。その後ロ号館に行っても同じくロックアウト、教養棟のすべての建物に入ることができません。
 第一学期の授業途中でのロックアウトでした。もちろんインターネットなどのデジタル通信ネットワークなどない時代のこと、各授業科目がレポート課題などになり、最終試験だけは厳格に実施され、自学自修で学ぶことを余儀なくされました。
 今でも覚えているのが物理学実験のレポート課題です。課題は、実験により重力加速度の値を求めることでした。自宅で実験をすることになり、どのような実験方法を用いるか考え始めたのです。友人たちの話を総合すると、振り子の等時性を使った実験をするのが近道のようです。
 ご存知のように、振り子の周期をTとし、糸の長さをℓとすると重力加速度gは、吊るす錘の質量とは無関係に
    T=2π√ℓ/g
となります。
 糸と錘になる五円玉を使って、振り子の振れがわかる間はできるだけ長く回数を数えて時間を測る。これだけで重力加速度のℊを計測できるわけです。
 私は、その頃水力学の教科書に興味を持って読んでいたのでトリチェリーの定理を使ってみたくなりました。トリチェリーの定理そのものは、例えばブリタニカ国際大百科事典から引用すると
「容器の中の液体が,壁にあけた小さな穴から流出するとき,液体の粘性を無視すれば,流出速度の大きさはq=√2gh (gは重力加速度、hは穴から液面までの高さ) で与えられる。これをトリチェリの定理という。このqの値は,物体の自由落下速度に等しく,また,液体の流出方向には依存しない。」
となります。
 ここでqは穴から噴出する流体の速度ですが、実験をする場合はある断面積の穴を開けてそこから流れる流量を時計と容器に受けた水の重量を計測して比重から体積を求めれば実験できます。
 私が用いたのは当時発売された5㎜芯のシャープペンシルの口金をバケツの底に穴を開けて装着することで実験をしました。5㎜芯ならば穴の口径から面積もわかるという考えでした。穴を開けたバケツは使えなくなるので、古そうなバケツを探して実験をしました。
 いくら実験をしても重力加速度の二桁の値も正確に求まりません。一桁合うのがやっとでした。穴の面積の誤差がトリチェリーの定理でgの値に二乗で影響することと、その誤差は実験を繰り返しても相殺されないパラメーターであることが問題でした。
 レポートを作成して提出すると評価は5段階評価の2でした。担当の先生に評価の理由を聞いたところ、帰ってきた答えは「なぜ精度の出ない実験方法を用いたのか?振り子を使った実験でやれば実験回数を増やせば増やすほど高い精度で重力加速度の値を計測できる。物理学実験とはそういうものです。」でした。評価は2でしたが、自分の考えの浅薄さを知ることができたことは、その後研究生活に入る前の良い経験でした。
 私が経験したロックアウトの期間はそれほど長くはありませんでしたが、その4年前の昭和44年の東京大学の入学試験が完全に中止され、東京大学を目指していた受験生がその夢を絶たれた日がありました。今の高校球児が甲子園出場の夢が絶たれた今と同じように前代未聞のことが起こった時代でした。その頃授業が半分ほどしかできなかった大学もあったと聞いています。
 そのような時代を回想しながら現在の大学の遠隔授業を見ていると、生き残れるのは時代や状況に適応できる人だけだというクールな言葉が聞こえてきそうです。しかし、適応できようができまいが、その時代を生きていくことに変わりはなく、むしろネガティブにとらえてみたりポジティブにとらえてみたりしながら時代精神なるものが存在するならばそれを感じたいと思っています。

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