第119回コラム「「師への誓い」としてのPPP(官民協調)布教(キルギス編)」
2020年4月7日
前田 充浩 教授
年齢的に、「シュウカツ」(就職活動、ではない方)の時期である。生きているうちに絶対にやらなければ、と思っている仕事をやるのは、今、である。そのうちいつか気が向いたら、とか言っていられないのである。
絶対にやらなければならないことの典型が、「師との誓い」を果すことである。振り返ってみると前田、本当に師に恵まれた人生である。至福の限りである。
それはよいのだが、問題は前田、調子に乗って、何人かの師に、「先生、それでは前田、一生をかけて、〇〇××をやりますよ。誓います!」とやってしまっていることである。その誓った相手は、いずれも世界を代表する研究者であり、それゆえ誓った内容も、ホントにできたら歴史に残るぞ、みたいな大きな話なのである。
選択肢は2つある。1つは、前田が誓っているところを見た人間がいるわけではないので、忘れたことにして、闇に葬る、というものである。いやいや、前田は「ブシ」である。それは絶対にできない。「ブシ」であることを捨てては、生きている意味がない。
そこでもう1つの選択肢、つまり、本当にやる、ということしかない。
今日は、「師への誓い」の1つを本当にやりつつある、という報告である。師は、東京大学時代のゼミの恩師、村上泰亮師(以下、「師」)である。「師」は、1993年に「あちら」へ行かれた。今となっては、「師」に土下座して、できませんでした、と許しを請うことができない。やるしかないのである。
1980年代に「師」が取り組まれておられたのは、欧米諸国から日本株式会社だの、ノトリアス(悪名高き)MITI(通商産業省:Ministry of International Trade and Industry)だのと散々非難されていた、政府が行政指導によって市場に介入する日本独特の発展戦略の「経済合理性」を証明するモデルの構築である。「師」はそれを、開発主義(Developmentalism)としてまとめられた。要は、産業の平均費用逓減局面では、過当競争を排して適正競争を実現するための政府の介入は合理的である、ということである(これでは何のことだか分からないでしょうが、すみません。説明は省略します。)。因みに本家本元の日本においてこの開発主義が有効に機能したのは1980年代までで、1990年代にはうまくいかなくなり、2000年をもって、正式に終了した。
前田が「師」からこの教えを受けたのは1980年代半ば。そりゃ就職先を通商産業省にしますって。入省後も、頻繁に「師」の元を訪ねて教えを請い続けたものである。
「事件」は、1989年に起きた。東西冷戦終結である。これにより、かつての計画経済圏の数十か国が新たに市場経済制度に基づく経済発展に取り組むこととなった(それら諸国は、移行経済圏諸国、と呼ばれる。)。早速世界中から市場経済化の専門家とやらが各国に大統領顧問とかで乗り込み、急速な市場経済化(ショック療法)を展開した。
それを見て、「師」はこうおっしゃった。今まで市場を政府が完全にコントロールしていた国々で、いきなり政府の介入をゼロにしろ、と言っても、混乱するだけだ。こういう場合には、日本の開発主義に典型的に見られる官民協調(Public Private Partnership:PPP)のあり方が大きく参考になるはずだ。勿論、平均費用逓減等の条件があるため、そのままでうまくいくとは限らないものの、少なくとも大きな参考にはなるはずだ、と。
それを聞いて涙ぐんだ前田、「それでは先生、不肖この前田、一生をかけて移行経済圏諸国に、あくまで参考ということで、先生の開発主義モデルの紹介を進めます!」とやってしまったのである。
その後、埼玉大学大学院時代にも、政策研究大学院大学時代にも、ジョンズホプキンス大学時代にも、ケンブリッジ大学時代にも、細々とはその努力を続けてきた前田ではあるものの、胸を張って「師」にやりました、というにはちょっと流石に。
それがこの度、遂に大きなチャンスが到来した、というのが今日の話である(前置きが長すぎましたね。)。
前田、縁があって2017年9月にキルギスを訪問し、H.E. Rosa Otonbaeva前大統領と会食する機会を得た。キルギスは元ソビエト連邦を構成する1共和国で、紛うことなき移行経済圏諸国である。その会食では、前大統領から、「前田さん、キルギスの経済発展のために尽力してくださいね。」と言われ、前田は「大統領、勿論ですとも!全力でやります!」と答えた。
そのような経緯があり、2019年9月、キルギス大統領府主催キルギス産業円卓会議(政府の代表と産業界の代表が一堂に会して、キルギスの経済発展の方向性について議論する超ハイレベル会合)に前田は特別講演の講師として招待された。日本人、初、らしい。会議のテーマはPPP(官民協調)、そこで通商産業省が20世紀にやった産業政策を紹介してくれ、というのである。
来た!来た!来た!
旧ソビエト連邦の1共和国の国家の中枢の会議で、堂々と村上モデルのプレゼンである。
迎えた2019年9月20日、場所は、作家井上靖が見たいと熱望しながら東西冷戦のために叶わなかった、シルクロードの幻の湖、イシククルの湖畔。
朝、ホテルの部屋で起きた前田は、テーブルの上に、持参した「師」の本(村上泰亮『An Anticlassical Political-economic Analysis: A Vision for the Next Century』、Kozo Yamamura翻訳、Stanford University Press、1996年)を立て掛け、柏手を打ち、「先生、出陣です。」と声をかけ、その本を持って会議場へ向かった。
前田の特別講演は、「師」のこの本の要旨を、通商産業官僚としての前田の実体験で補強したものとした。で!講義を聴いている間に回し読みしてください、と言って、「師」のこの本を回覧した。
旧ソビエト連邦の1共和国の国家の中枢の会議で、閣僚、産業界の代表達が、『An Anticlassical』を回し読みしているのである!「先生、御覧いただいておりますでしょうか。」。講演しつつ、目頭が熱くなる前田であった。講演を終え、上方を向いて、呟いた。「先生、やりましたよ。」。
ところが、本番はそれからであった。
参加者から質問の嵐。日本の開発主義の話をきちんと聞いたのは、全員初めてだったということで、こんな感じ。「ちょっと待て。我々は東西冷戦で、東側陣営として西側陣営に敗北した。東側とは、政府が市場をコントロールする体制、西側とは政府が市場に介入しない体制、ということではなかったのか。それが、西側ナンバー2の日本が、東西冷戦の期間全体を通して、そんなことをやっていたというのか。では一体我々は、何と戦い、何に敗れたというのか。」。
質問が途切れないので、議長が強引に打ち切り、コーヒー・ブレイクとなった。そこで前田は、顔を真っ赤にした参加者達に取り囲まれた。
独立後日本の〇〇大学に留学して経済学博士号を取ったという官僚が食いついてきた。曰く、「日本の大学では、私の指導教官は、政府は絶対に市場に介入してはならない、と厳しく、厳しく言い続けていた。一方、当の日本政府はそんなことをやっていた、というのは、どういうことか。日本人は、みんながグルになって移行経済圏諸国の人間をだまし続けてきた、ということか。」。
会議後暫く経った10月1日、キルギス大統領府投資委員会から呼び出しを受けた。行ってみると、元経済閣僚で現在投資委員会事務局長のTalaibek Koichumanov氏は、こう切り出した。「この前の前田の講演は大変に面白かった。100%政府か100%民間か、ではない、政府と民間との間の程良い協調関係(PPP)が重要だということを理解した。ついては、今後のキルギスの発展を牽引する官民協調(PPP)のあり方について、是非とも我々と協働研究を進めてほしいのだが、受けてくれるか。」。前田は答えた。「勿論です。光栄です(my greatest honor)。」。前田のその言葉を聞き、微笑むと、Koichumanov氏は、前田がキルギス大統領府顧問に任命されたことを告げた。
前田の任命書は、今、前田の研究室に掛けられている。また協働研究のキルギス側代表者であるKoichumanov氏は、2019年11月の教授会の決議を経て、東京都立産業技術大学院大学経営倫理研究所研究員に就任した。
村上先生、こんな感じで進めております。
たどたどとはしておりますが、引き続き、お見守りくださいませ。
なお、円卓会議の前田の特別講演の模様は、動画が撮ってある。これを「あちら」の村上先生に送りたいのではあるが、現在の通信技術をもってしても、そこまではできないようである。
(参考)
キルギス大統領府主催キルギス産業円卓会議の模様(イシククル、2019年9月20日)
①村上開発主義モデルを特別講演する前田
②会議の模様