第105回コラム
映画「マトリックス」から見るAI
情報アーキテクチャ専攻 慎 祥揆 助教
ちょっと古いですが、「マトリックス」というSF映画をご存知でしょうか。個人的な感想ですが、この映画はSF映画史上に残る傑作だと思います。
この「マトリックス」では最近話題になっている人工知能の世界を背景としています。
映画の内容は2199年、人工知能を搭載したコンピュータが支配する世界です。そこでは人間は生まれてすぐ機械が作った人工子宮内に閉じ込められ、AIの延命のためのエネルギー源として使用されます。そして人の脳には「マトリックス」と呼ばれるプログラムが入れられます。このプログラムは、人間に仮想現実を見せ、人間はメトリックスのプログラムに基づいて、生涯の間に、1999年の仮想現実を生きていくというのが基本的な世界観になります。
この「マトリックス」の中で普通に生きていた主人公の「トーマス・アンダーソン」にある日、謎の人が見つけて来ること、そこから映画の内容が開始されます。
映画マトリックスの中では、将来の世界がなぜこのようになってしまったのかは教えてくれませんが、アニメのマトリックスでその詳細を知ることができます。
アニメのマトリックスでは、高度な文明の発達を遂げた人類は自分たちの都合のために自分で考える人工知能を持った機械を開発します。自分で考えることが可能になった機械たちは、自分たちが奴隷と変わらないことを知り、ロボットが自分の持ち主を殺害する事件が発生してしまいます。これに危険を感じた人間はロボットの破壊を決め、破壊し始めますが、ロボットも自分を守るために勢力を集めるようになり、最終的には戦争へ発展することになります。戦争でますます不利になった人間は、太陽エネルギーで動く機械を攻撃するために、地球の大気を汚染物質で遮断する決定を下します。しかし、人間は、戦争に負け、太陽エネルギーを利用することができなくなった機械たちは人間の体温をエネルギー源として使用するために、人間が滅亡しないように人工子宮内に閉じ込め、脳の中には仮想現実で生きるようにすることになったというというのが映画トリックスの世界観です。
最近、人工知能は新しいトレンドとして学界と産業界から多くの研究がなされていますが、映画マトリックスの世界観を見ると、人類の未来を楽観的に考えていない人も思ったより多いことがわかります。そういえば他の映画、ターミネーターも暗い未来を想定していますね。
人工知能の分野でも弱い人工知能と強い人工知能とで対立した議論が行われています。
事実、人間は産業革命を経て、労働層、いわゆるブルーカラーの反発による機械破壊運動に直面した歴史があります。機械化により、自分たちの仕事がなくなることを心配したためですが、実際に産業の発展とともに単純労働から知的労働に労働のパラダイムが移動することで、再び新しい雇用が作られ、当初心配したほどの問題は発生しませんでした。第4次産業革命を迎える現代でも、当時の第3次革命を迎えた労働者の気持ちではないでしょうか? しかし、第4次産業革命では、いわゆるホワイトカラーの知的労働を機械が置き換えることができるようになり、その波及効果は以前のものよりも大きくなると思います。
人工知能が唯一人のみができる知的労働を代替可能になると、私たち人類は、人にしかできない労働がなくなるという、より重大な問題に直面するでしょう。悩ましい問題ですね。
再び映画の話に戻ってみると、マトリックスを管理する人工知能アーキテクトも完全に完璧な仮想現実を構成することができず、毎回エラーを修正する内容が出てきます。 (私たちのプログラマの日常ですね。笑)
映画では、マトリックスのエラーの原因は、「人間の心」のようです。人は本当に自我を持っているのか?というのは、科学的にも哲学的にも古い課題です。他の多くの人工知能を持つロボットが出る映画で自分の存在に悩むロボットの話は沢山あります。
映画マトリックスで登場する人工知能は考えることができますが、自我を持っていないようです。映画では、単に「確率的な推測」を「思考」と定義しており、本質的な自我の有無の問題について話しているのではないかと私は感じました。映画ではこのように我々が取り組むべき課題をいくつか提示しています。
我々が住むこの社会でも様々なエラー(!)はありますが、久しぶりに古い映画でも見ながら物思いに耽ってみてはいかがでしょうか。そして、高度情報化が進むこの社会で私たちが今後どのような将来を迎えることになるのか、そしてそんな世界をどのように生きて行かなければならか、その「本質」に悩んで見る時間を持ってみてはいかがでしょうか。