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第100回コラム
「当たり前」なことを「当たり前にする」難しさ

創造技術専攻 吉田 敏 教授

ここ数か月を見ても、思いもしなかったようなニュースが多く流れてくる。大学のアメリカンフットボールの件、学校設置に関する政治的な件、社会的高い地位のある人物のセクハラに関する複数の件など、耳にすると少々困惑するような面が含まれているように感じられるのではないだろうか。特に、極めて信頼性が高い資質を持っていると信じられていたポジションの人物や組織による、少々信じがたい認識力不足・理解力不足・判断力不足などが、露見した面があるよう思われる。しかし、これらの問題は、企業の活動を含む多くの経済的活動の中でも、広く見受けられるのではないだろうか。
前述のニュースなどは、社会全体の価値観や認識の変化や、SNSを中心とする情報の双方向性への変化等、外的な環境の複数の変化が関連し、ある程度の期間、潜在的に存在していた「当たり前ではない」ことが、突然表出してしまった面があったのではないだろうか。そのために、当事者たちは無意識に変化しないと信じていたことが,変化してしまっていたということも影響し、「こんなはずでない」という感じだったのかと推察する。そうであれば、何度話を聞かれても、不自然に思われる最初の主張を繰り返し、その対応が最善と思ってしまうのかもしれない。

ここ数年、特筆すべき程の事業的成功を収めていた複数の国内企業に協力して頂き、内部でどのような活動や判断をしているのかを見せて頂ける機会を得ることができた。詳細は別の機会に譲るとして、共通に含まれていた側面に触れてみたい。
まずは、競合他社に比べて、明らかに優れた判断や対処をしていても、当該企業の方々は全く気付いていないことである。異口同音で、「特別なことはしていない」という主旨が繰り返され、こちらが説明しても「ピンとこない」とおっしゃる場合が多かったといえる。
また、そのような判断や対処は、置かれた環境に対して的確なことである。逆に言えば、その時点、その状況で、落ち着いて考えれば、「当たり前」な内容ということになる。
しかし、このようなことが出来ている企業は稀であり、出来ている少数の企業が大きな成果を手に入れているということが考えられる。

違う例を考えてみよう。「顧客視点のモノづくり」という言葉をよく聞く。しかし、実践している人達に,よく話を聞いてみると、「つくり手のための顧客視点を含むモノづくり」というあたりが正確であるという内容が多いように思われる。自分たちの想定に基づいた内容を顧客に尋ね、自分たちの努力や強みがどのように伝わっているかを確かめ、その答えを自分たちの事業に反映することによって、「顧客を理解し、顧客のためのモノを創る」という話になっている場合が多いのではないだろうか。
ショールームやカタログを見ても、少々違和感があるときの方が多い。これらは、つくり手のためでなく、顧客のためにつくっているのではないだろうか。(少なくとも、そのような発言が多い。)もしそうなら、顧客が欲しい情報を欲しい順番で並べてあげれば良いはずである。まさか、つくり手の企業のためにつくっているような、内容や順番になってはいないだろうか。(企業が見てほしい製品を前に出し、アピールしたい内容を中心に説明し、その反面、顧客が使い手として知りたい内容が殆ど理解できない、なんてことになっていないであろうか。)

自分にとっては、建築が専門領域の一つであるため、建築のことは常に気になり、いろいろと観察する習慣がある。その中で、残念ながら「当たり前なこと」が「当たり前になっていない」ことが散見されると言わざるを得ない。例えば、公共建築などの発注時に「予定価格」と「予定工期」というものがある。特に価格の方は、入札時に、この「予定価格」より少しでも高いと即座に失格となり、2割程度低いとダンピングをしている可能性が高いとみなされ、低価格調査にまわり、細かい書類審査によって殆ど生き残れない傾向がある。
これは、簡単に言うと、去年までと同じ方法で、同じ価格によって、つくることを想定していることになる。去年と同じなら、一昨年とも同じで、その前の年とも同じで、十年前、二十年前とも同じということなのであろうか。コンピュータなどの演算処理技術、インターネットなどの通信技術などの、基盤的な技術がこれだけのスピードで変化している中、革新やイノベーションの可能性を阻害していることにはならないのであろうか。

どうやら人間は、自分が真剣に長年対処してきた対象について、変化が起こるという当たり前のことを考えたがらないのかもしれないし、もし変化を認識できても、うまく対応できないのかもしれない。そして、「当たり前のこと」を「当たり前にする」のが、とても不得意な面があるのかもしれない。

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