第13回コラム
「ものになる技術を見極める力」
情報アーキテクチャ専攻教授 嶋田茂
皆さん、誰も達成できなかった技術が開発できれば必ず成功すると単純に考えていませんか?たとえ技術開発に成功してもそれが世の中に受け入れられるものでなければ真の成功とは言えず、それは「ものにならない技術」として往々にして忘れ去られてしまいます。ではどうしたら「ものになる技術」を見極めることができるのでしょうか。本稿は、IT分野での技術開発の在り方を、例を交えて考えてみたいと思います。
私は、本学に来る前は、企業の研究所に在籍しておりまして、AI(Artificial Intelligence)関連分野を中心に約30年に及び技術開発を行ってまいりました。思い起こせば、私の所属していた研究所は、企業組織の中でも大学に近いかなり自由度のある活動が許され、技術開発には最高の環境であったことが思い出されます。研究所の使命としては、「目先の技術にこだわらずに、今後10年を見据えたトレンドメーカーたれ」との号令のもと、現状の技術やニーズ分析から始まり、その課題の抽出、技術開発、ニーズとの適合性評価に至るまで、ありとあらゆる可能性を自由な開発スタイルで実施できることが許されていました。このような自由な環境下にも関わらず、技術開発はそう簡単には成功いたしません。しかも企業の観点からは、たとえ技術そのものを開発に成功したとしても、それが世の中に受け入れられなければ(売れなければ)成功したと認められませんでした。
一方、逆説的に「ものにならない技術」について考えますと、その典型例として羽ばたき飛行機などがあげられると思いますが、もう少しIT関連の例として私の研究所在籍中の失敗例を紹介してみたいと思います。30年前には、文字認識がAI研究の最先端と考えられており、これに代表されるパターン認識技術の高度化が世界的な競争となっていました。我々のグループでは単なる文字だけの認識では適用範囲が狭いとして、図形認識を含む設計図や地図の認識の課題に取り組んでいました。あるとき、顧客から黒板に書かれた内容を何とか印刷できないかと相談を持ちかけられましたので、我々はそれを図面認識技術により、図形はベクトルデータ、文字はテキストコードへと自動認識する技術の開発に没頭しました。ところが人間が黒板に手書きする文字や図形の方向は任意で、その大きさも千差万別で、文字と図形成分に分離するだけの前処理に大型計算機を用いても数分かかる始末で、とても実用には程遠いものでした。このような悪戦苦闘を続けているうちに、ある日本のベンダーから、巻き取式の白いシートにスキャナを取り付け、図形や文字をそのかかれたままの状態の縮小画像としてプリントアウトするいわゆる白板システムが商品化されました。このシステムから出力されるものは、白板に書かれた手書きの文字と図形がそのままの形状でドキュメントサイズに縮小されて印刷されるだけのものでしたが、白板のスキャニングとほぼ同期して10秒程度でプリントアウトされるため、大変重宝されました。そのうちに、このシステムの特許が日本国特許の大賞を受賞するなどして、国内で爆発的に広まっていったほか、海外での引き合いも多かったと聞いています。即ち「ものになる技術」の典型例です。
我々のグループでも、当初はこの画像スキャンと画像縮小の技術に関して気がついていましたので、それを特許にしようとした時期もありましたが、社内の特許担当から、あまりにも当たり前すぎるとして出願を拒否されたりしていました。今から考えると、どうしてこのような「ものにならない技術」の開発に凝り固まってしまったのかと反省多々の心境ですが、やはりニーズの捉え方の甘さと、人間の持つ知能的なパターン認識能力の過小評価にあったと考えています。ニーズとしては、大きな黒板の記述内容がドキュメントとしてプリントアウトされることが重要で、内容を理解する機能は人間が行った方がはるかに効率的であることの見通しができなかったことにあったようです。
この議論を羽ばたき飛行機が実用にならないことに当てはめて考えると、飛行メカニズムをあまりにも生物の挙動に類似するように固執するあまり、肝心の空を飛ぶといった機能の実現コストとのバランスがとれないことにあるとみています。とは言いながらも、最新の軍事兵器の開発で、敏捷に空中を飛びまわる機能を羽ばたき飛行機で実現したといったニュースも報告されていますので一概に否定はできませんが、その場合も前者と要求機能が異なることに注意が必要です。
今後は、次世代Web3.0に代表されるような知能性に関する技術がコアとなると言われていますが、IT分野においては何が何でも自動化するのではなく、人間の能力とバランスさせた「ものになる技術」を見極めていくことがますます重要になると思っています。
以上、反面教師的な説明が多くなりましたが、果たして「ものになる技術」の極意がお分かりになりましたでしょうか。