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第95回コラム
「道」としてのアジア/アフリカ開発

創造技術専攻 前田 充浩 教授

振り返ると、人生の大半をアジア、アフリカの発展のために捧げて来たことになる。
とか言い出すと、ああ、自分はどこそこでこんなことをやった、あんなことをやった、地味だけれど地元の人々には感謝された、とかの国際開発関係者にありがちな自慢話か、と思われるかもしれない。が、そうではない。今日は、前田が人生をかけて楽しんでいる、勝負についての話である。自分の魂を限りなく清浄にし、相手に伝える、という勝負である。
アジア、アフリカで真に国家の発展に取り組む人々、典型的には政府高官は、国士である。国家の発展のために、自分の能力の限りを尽くし、財産はおろか、時には命をも投じることを何とも思っていない、というか、むしろ喜びとする人々である。魂は、限りなく清浄である。
こういう魂が清浄な人々は、相手の魂の汚れは確実に見透す。「貴国の発展のため」とか言いながら、腹の中で、カネ儲けとか、政治的な利益とかを狙っている人間は、相手にされない。
したがって、アジア、アフリカの政府高官に信頼されるためには、こちらの魂を清浄にしなくてはならず、そのためには、日々を清浄な魂で送らねばならない。宗教っぽくなって恐縮ながら、アジア、アフリカの発展の仕事に本気で取り組むことは、自らの魂を清浄な状態に制御する「道」(ブシドー?)でもあることになる。
勝負の場は、政府高官との会談である。ここで、こいつはカネのためだな、利権のためだな、と見透かされてしまえば、もうそこまでである。一方魂の清浄さが通じれば、それ以降、申し訳ないような手助けをしてくれる。
では幾つか実例を。
まずは、カンボジア。
1991年に内戦が終結した時点で、国は荒廃、目先真っ暗だった時に、カンボジアの国士が立ち上がった。1994年にはカンボジア発展委員会(CDC)を設立し、ASEANへの加盟も決意する。この時期を支えた国士の一人が、カンボジア工業手工芸品省B総局長であり、経緯があって、前田と彼とは盟友である。
2017年1月、プノンペンのセミナーでB総局長に会った。最近前田は何をやっているのか、と聞かれたので、チーム前田(前田+学生)でやっているカンボジアICT産業振興の話をしたところ、発表の機会を作ってくれることになった。2017年3月にチーム前田でプノンペンへ赴いたところ、会場はカンボジア首相官邸Peace Building特別会議室で、首相府特命大臣S閣下がお待ちであった。
首相官邸で首相府特命大臣にプレゼンする機会というのは、そうある話ではない。緊張しながら、熱い思いを説きまくった。さて?  
伝わったのである!
直後に、大変良いプロジェクトなので、計画通りに進めるように、とS閣下がおっしゃっているということをB総局長より伝えられた。
2017年12月にチーム前田がプノンペンを再訪すると、再びカンボジア首相官邸特別会議室でS閣下との会談が用意されていた。今回は、カンボジア産業界の代表約30名も同席していた。首相官邸で、産業界代表を集めた首相府特命大臣主宰の大会議とは、チーム前田、何様?である。さて、今度は?
これもまた、伝わったのである!
会議の翌日、前田に対して、S大臣の大臣親書が交付された。内容は、チーム前田のプロジェクトは大変に立派だから、カンボジア首相府は全面的に支援する。今後もがんばれ、というものである。大臣親書というのは立派な外交文書であり、普通は組織宛で、個人宛、ということは滅多にない。前田自身、人生で初めて自分個人宛で受け取った大臣親書である。
キルギス共和国。
縁あって、2017年9月にキルギスへ行くことになった。カウンターパートは大統領府投資委員会。そこが大勝負の場を用意してくれた。R前大統領との会食である。R前大統領は前田に聴いてきた。日本人なのに、何故キルギスの発展に興味を持つのか。本気か。前田と仲良くすると、何か良いことがあるのか。つまり、他の国際機関ではできない強みがあるのか。
ビシュケク(キルギスの首都)で一番というイタリア料理店で、2時間の勝負となった。さて?
通じたのである!
R前大統領の指示で、2日後には前田は大統領府投資委員会委員長とMOUを結び、記者会見を行った。
次に、通じるとこんなこともある、という話。
経緯は省略するものの、何度かの勝負の結果、南部アフリカ開発銀行のD総裁には「通じて」いる。2016年11月、ボツワナ独立50周年記念の国家的イベントとして開催された世界開発銀行総裁会合の冒頭、主催者挨拶の中でD総裁はこう述べられた。「我々アフリカの開発銀行は、世界初の新たな発展戦略に取り組んでいる。前例はない。道は険しい。しかしながら、世界の中には、我々のこのような取り組みに共感し、一緒に道を歩む研究者も出てきている。今日は会場に、そのような研究者の一人として、Professor Maedaに来ていただいている。」(!!!!)
前田ごときが、このような名誉。人生最高級の晴れ舞台である。
最後に、勝負の場はいつ訪れるか分からない、という話。
ハボロネに本部がある南部アフリカ開発共同体開発銀行協会のK総裁との勝負の場は、ナイロビのホテルのプールサイドでタスカーというビールを飲みながらのことであった。
2016年8月、日本政府が主宰したTICAD(アフリカ開発会議)Ⅵがナイロビで開催され、安倍首相も出席された。前田もセミナーのパネリストとして参加していた。
さてさて、人生初のナイロビ。ナイロビって言えば、ライオンだ、キリンだ、サイだ、カバだ、と楽しみにして、「地球の歩き方」まで買って行ったというのに、安倍首相も御出席の大国際会議であることに加えてナイロビの治安。セミナー以外はホテルから一歩も出るな、という厳しいお達し。
そこでホテルのプールサイド、ということになったところ、そこにいたのが同じ目に遭っていたK総裁だったのである。この時、K総裁とは合計8時間位いろいろと話せた。人生の中で宝石のような機会となったのである。
紙面の都合で以上しか紹介できないものの、要は、こういう勝負を年中やっているのが今の生活である。いつまで体がもつか、という問題はあるものの、精神的には到底老け込んでいる暇はなさそうである。

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