第94回コラム
地域活性化は、「内部力」と「外部力」の新結合から
情報アーキテクチャ専攻 板倉 宏昭 教授
地域活性化とは何であろうか。経済成長論の創案者であるヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは、1912年の『経済発展の理論』の中で「イノベーションは新結合 (neue Kombination)から生まれる」と述べたが、これがまさに地域活性化に当てはまる。イノベーションは、日本語で「技術革新」と訳されることが多いが、イノベーションは技術の分野に留まらず、地域の内部力と外部力の新結合から地域のイノベーションは生まれる。
成功例として、高知県東部にある馬路村のゆず加工品を挙げたい。人口わずか900人ほどの山村の馬路村は、県都高知市から車で東へ2時間、太平洋から安田川を20キロ程遡り、バスがすれ違うのが難しい1本の「くねくね道」を通っていく。総面積の約96%が山林である。このような不便な場所にありながら、むしろ不便さすら売りにして、90年代から急成長し、年商33億円を超え100名近い雇用を生んでいる。ゆずポン酢「ゆずの村」やゆずドリンク「ごっくん馬路村」をはじめゆずを使った70種類ほどの商品を扱い、今も新しい取り組みを続けている。
ゆずは、馬路村で平安時代から栽培されてきた。山間部の限られた傾斜地で栽培されたゆずには、とげがあり傷つきやすい。早くから高齢化が進み、ほとんどが兼業農家で手間がかけられない。当初は、馬路村のブランド力はなく、いびつで傷のついたゆずは、全く売れず、安く叩かれて、ビジネスには程遠かった。
しかし、無農薬で味もおいしいという確信はあった。単なる農産物ではなく、加工品に特化した戦略をとった。ただし、規格に合っているかどうかで買い取り価格が決まる青果出荷と違って、加工品は自ら売っていく必要があった。
不便な土地の小さな村が、どのようにゆず加工ビジネスで抜きんでた存在となっていったのか。成長のきっかけは、地域の内部力(ジモティ)と外部力(ヨソモノ)の新結合が生まれたことにある。
魚梁瀬杉で知られる地場産業の林業が衰退する中で、高知市からUターンした東谷望史(とうたにもちふみ)氏(現馬路村農協代表理事組合長)が村の将来に危機感を抱き、ゆず加工品を新たな産業として育成しようと思い立った。この地域愛(地域コミットメント)と東谷氏のリーダーシップという内部力に新たな外部力が組み合わされたことが成功を生んでいる。
馬路村は、営林署が2つあり、森林鉄道によって結ばれてきた。外部と交流があるなどヨソモノの力を受け入れることに抵抗がなかったことが大きい。外部力がいたからこそ、ただ商品を開発して売るのではなく、「村を丸ごと売る」という戦略にいきついた。
外部力も地域に愛着をもっていることが条件である。東谷氏の馬路村をたくさんの人が集まる村にするという強い思いが核となり、西武百貨店池袋店の101村展の優勝賞金がきっかけとなり1988年のアークデザイン研究所との契約により、新たな外部力として、プランナー兼コピーライターの松崎了三氏、商品や販促媒体に絵を描いているデザイナー田上泰昭氏との黄金のトライアングルが形成され現在まで一貫している。
開発したドリンクの商品のネーミングには数ヶ月を要し、村へのこだわりを持って「ごっくん馬路村」と名付けた。商品コンセプトを「商品を売る」から、外部の視点である、村での生き方を含めて丸ごとブランドにする「村を売る」へる戦略を転換していった。
田舎の生き方を売ることを通じて、馬路村ならではの物語(Site Specific Storytelling)が生まれている。馬路村のパンフレットには、若い女性モデルではなく、ボランティアの村の子供やお年寄りが登場する。ゆずドリンク「ごっくん馬路村」のラベルにデザインされた「ごっくん坊や」は、ゆずだけでなく、観光地や村役場のパンフレットにも登場するイメージキャラクターとなっている。田上氏が描き続ける「ごっくん坊や」は、村の統一されたイメージを売るCI(Corporate Identity)として機能している。
ゆずビジネスの農協の運動は、行政にも広がった。例えば、馬路村は、特別村民制度を設けた。現在は、村の人口の11倍以上の1万人以上の馬路村のファンが特別村民として登録している。視察も多く、馬路温泉や森林鉄道など観光が活性化した。高齢化による自然減は続いているものの、Iターン、Uターンの若者が入ってきた。
搾汁工場、加工場、パン工房、直売所からなる加工場「ゆずの森」は魚梁瀬杉を使った建物である。見学できるようになっており、年間1万人以上の馬路村の通信販売のファンなどが全国から訪れる。商品開発にも熱心で、ゆずをつかった化粧品工場を設置した。一部を村外に外注していた化粧品生産と開発を村内で行うという全国の農協で他に見られない取り組みである。大学との共同研究を通じて、一層の付加価値の向上を目指している。
ゆずビジネスの運動は、他産業の振興につながった。林業復活の取組としての第3セクター「エコアス馬路村」が設立された。魚梁瀬杉を用いたかばんMONACCA(モナッカ)は、ドイツ、アメリカ、イタリア、フランスなどの国際見本市に出展され、ニューヨークのMOMA(Modern Museum of Art )近代美術館でも販売されてきた。ここでも馬路村を売るという戦略をとった。
シュンペーターは、イノベーションの実行者を起業家(entrepreneur)と呼んだ。新しい組み合わせで生産要素を結合し、新たなビジネスを創造する起業家は、地域の内部にも外部にも必要なのである。
馬路村の売り上げの半分以上は、通信販売である。全国のスーパーマーケットで「ゆずの村」や「ごっくん馬路村」は買えるが、通信販売ではお中元やお歳暮などのギフトセットが充実している。一度購入すると、松崎氏や田上氏が一貫して関与している素朴なイラスト満載で描かれたカタログとともに高知の言葉で馬路村の近況を伝える「ゆずの風」新聞がついてきて届くのが楽しみになる。販路を開拓するのが難しい地域の中小企業にとって、ICTを活用した経営は、地域にかかわらず、市場開拓の可能性を切り拓くであろう。