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第88回コラム
失敗からの教訓:人間中心設計やUXデザインを社内に普及させるには

創造技術専攻 池本 浩幸 教授

 人間中心設計(HCD)やUXデザインを社内に普及・浸透させるにはどうしたらよいだろうか?というご質問をいただくことが増えました。悩んでいる方は、長年にわたって電気製品や産業機械などを製造・販売している伝統あるメーカーの方が多い印象です。古くからある加工組立産業の会社と言った方が分かりやすいですかね。

 そんなことで悩む人がいるの?と思う方もいるでしょう。ウェブなどで情報サービスを提供している会社や一部の先進的なメーカーでは、HCDやUXデザインは当然のこととして、会社全体で活動が行われています。そういう会社にいる方からすると、随分、時代遅れな話だなと思われるかもしれません。

 伝統あるメーカーでも、最近では、社内にHCD部門が新設され、これまでHCDやUXデザインを専門としていなかった方々が勉強しながら活動することになったという話も聞きます。そういう新設のHCD部門では、HCDやUXデザインを会社全体の活動にすることがミッションであることも多いようです。

 伝統あるメーカーで、HCDやUXデザインを会社全体に普及させるのが難しいのはなぜでしょうか?

 私は総合電機メーカーで長らくHCDに取り組み、数々の失敗をしてきました。このコラムでは、私が失敗して学んだ教訓から、HCDやUXデザインの社内普及で悩んでいる方にメッセージを送ります。個人的な意見ですので違和感を持つ方もいらっしゃると思いますが、そういう方とも議論を深めて行きたいと思っています。

1.いきなり全体を相手にするな:小さな成功を積み上げろ!

 HCDやUXデザインを社内全体に普及してくれ!と会社から託されると張り切ってしまいます。社内で説明会をやろう、委員会もいいね、マニュアルを作って配ろう!などと言って年間計画を作ります。

 待ってください! HCDの効果やコストも分かっていない人々が、自分たちの思い通りにHCDを理解し、自ら実践してくれるでしょうか。人は長年の習慣を変えられない動物です。とくに過去に成功した体験があると、今のやり方ではダメになると分かっていても、そのやり方から簡単には抜け出せません。話は分かるが自分たちにはムリだと相手が感じると、リスクを冒してでもやってみようとするのではなく、やれない理由を考えはじめます。これまで以上にコストをかけて顧客の体験価値を高めたら、自社の売上や利益が上がるのか?という疑問はHCDに取り組まない最大の理由になります。

 初動では未経験のたくさんの部門を相手にしてはいけないのです。どの事業部門ならHCDの効果が出そうか、その部門の誰が一緒にやってくれそうか、その部門にHCDを導入するために自分たちは十分な知識やスキルを持っているのか、などをしっかりと考え、成功する確率の高い相手を絞り込む必要があります。そして、いよいよ、その部門へのテコ入れをはじめたならば、成功するまで手を緩めてはいけません。自分たちの時間や労力は度外視して、全てのリソースをつぎ込み、徹底的にやり抜きます。少しでも成果がでたならば、自分たちではなく、その部門の成果として大々的にアピールします。ここでよくある失敗は、自分たちがHCDをやったから成功したというアピールです。そんなことをしたら、これまでの苦労は水の泡です。手柄は常に相手のもので、HCDを推進する部隊は常に黒子でなければなりません。そして、小さな成功を手に入れたら、あの部門ではこんな取り組みをして、こんなにも売上や利益が改善した、あなたもどうですか?と言って、次に可能性のある部門に声をかけましょう。これを地道に繰り返すことが、なにより重要です。

 私は社内全体を相手にしたワーキングで失敗しました。ワーキングには参加してもらえましたが、ビジネスの成功と言えるような成果はありませんでした。

2.手法やツールが成功させるのではない:創造的な確信につながる実践知を獲得せよ!

 HCDの入門者は、なるべく多くの手法やツールと、それを使いこなすスキルを学びたいと思う傾向にあります。このような姿勢を私は「手法フェチ」と呼んでいます。専門家としてレベルアップしていく中で抜け出せる人もいますが、なかなか手法フェチから抜け出せない人もいます。

 たくさんの手法やツールを使いこなせるようになるとHCDを成功させられるのでしょうか?それは百戦錬磨の実践による結果であって、目指すものではありません。手法やツールには戦略立案から発想支援、分析評価まで様々なものがあります。いまや数え切れないほどのたくさんの手法やツールがあり、あちこちでそれらを学ぶワークショップが開かれています。手法やツールを追いかけてもきりがありませんし、例題をいくらやっても、実際の開発で手法やツールを活用できる十分なスキルが身につくとは思えません。

 自分は手法フェチかも?と思った方は、なぜこんなにもたくさん手法やツールがあるのかを考えてみてください。

 いつの時代も技術は進歩しつづけ、次々と新しい製品やサービスが登場し、人々はそれらを利用して、これまではできなかったことや、本当にやりたいことをやろうとします。このように大きく変化していく状況にあって、例えば、製品やサービスにかかわる人々の利用状況や要求を知ろうとすると、調査用紙でアンケートをしただけでは分からないことが多くなり、本音や潜在的な意識を探るために各種のインタビュー手法や行動観察も積極的に併用されるようになりました。いまや人々は、ネットワークを介して人やモノと複雑につながり、いながらにして欲しい情報を手に入れ、それぞれがこれまでとは違う様々な方法で目的を達成するようになっています。手法やツールは、製品やサービスにかかわる人々を満足させようとHCDの実務家たちが困ったり悩んだりする中で次々と考案され、改良されてきました。手法やツールは、HCDやUXデザインを効率良く、効果的に行うために必要なものですが、手法をより多く知っていることや手法やツールを使うことそのものが目的になってしまうのは大きな間違いです。

 HCDによるものづくりでは、製品やサービスにかかわる人々が、その人が望む使いやすさや効率で製品やサービスを利用でき、満足することが重要です。それを実現しようとするなら、まずは、人間にはどのような特性があるのか、人間は他者や人工物に対し、どのように考え、どう行動する傾向があるのかなど人間に関する知識が必要となります。まずは、人間や社会に関する幅広い知識と、製品・サービスに関する深い専門性を持つ人や組織を作りましょう。それができれば、PDCAサイクルを回しながら実践を積み重ねることによって、どんな手法やツールを使うのかは重要ではなく、多様な顧客を利用状況に応じて満足させられるようなHCDを実現できるでしょう。

 私にも手法フェチな時期がありましたが、手法やツールが次々と考案され改良されていく歴史を見てきたためか、早めに手法フェチから抜け出せたと思います。ただ、手法フェチな仲間をなんともできなかった過去の苦い経験があります。そこで私は、最低限の基本となる手法やツールを学んだら、とにかく実際の開発で実践し、そこから得られる実践知をどんどんと獲得していくことをお勧めしています。人間や社会に関する知識が足りないなら学び、製品・サービスに関する専門性を磨き、手法やツールが十分でないなら理由を考えた上で手法やツールを改良したり他のものを導入したりする。まさに、実践、実践、実践…、実践あるのみです。何よりも大切なのは、たくさんの実践経験を通して人や組織が獲得する「自分たちなら絶対に成功させられる」という創造的な確信だと思っています。

3.絶対に諦めるな:折れない心を持った人間力が成功のカギ!

 HCDを導入すれば効果がありそうな事業なのに、HCDに全く興味がない部門もあります。そういう時はその部門内で、HCDを理解し援助してくれるキーマンを見つけ連携しましょう。キーマンの特徴は仕事の進め方に対してHCDに近い考え方をしていて、トップからも仲間からも信頼されているような人です。私はたくさんの部門とHCDの仕事をしてきましたが、各部門のキーマンにいつも助けられていました。不思議なことに、ある程度の規模の部門にはそのようなキーマンが必ずいます。

 私が若かったころにした失敗ですが、試作したデザインの評価実験をやると約束してくれたキーマンが、予定の日になっても連絡がなく、実験の準備が無駄になったので、その人の上司に文句を言ったことがあります。結果は分かりますよね、その実験をすることができなくなってしまいました。どうして大切な仲間であるキーマンの辛い状況に寄り添うことができなかったのか、その場は引っ込めるが、いつかは必ず前に進めるぞ!というような折れない心で進められなかったのか、とても悔やみました。このような苦い経験を経て、私は絶対に諦めない気持ちや折れない心が大事であることを学びました。

 非常に大きな部門でHCDやUXデザインを普及させる活動をした時は、たくさんの仲間から「○○さんの言うことなら間違いない、一緒にやろう!」と言われているような人間力あふれるキーマンとの出会いがありました。キーマンが紹介してくれる仲間たちは、キーマンからの紹介なら大丈夫!と言って、最初から我々を信用し、大変な仕事もすぐに引き受けてくれました。我々もキーマンが動きやすくなるように、無茶振りされてもキッチリと仕事をし、やりたい活動も「いまは待て」と言われたら我慢しました。キーマンとの関係は、あるときは相手に従って我慢し、またあるときは自分の考えに従ってもらう絶妙なバランスでしたが、根底にはお互いに尊敬し、深く信頼し合っている関係がありました。結果的に活動は大きく前進しました。

 この経験から私は、HCDやUXデザインを推進する上で重要なことは、絶対に諦めない折れない心を持つこと、顧客や仲間と深い信頼関係を築けるような人間力を持つことだと思っています。

 文量の関係でここまでにします。私が話し出したら長いので、割愛した内容は、別の機会にご披露したいと思います。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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