第77回コラム
燃料電池車MIRAIの生産ライン見学記
創造技術専攻 小山登教授
つい最近、世界初の燃料電池車(FCV: Fuel Cell Vehicle)であるトヨタMIRAIの生産ラインを見学する機会を得た。その生産ラインは、日本で最初の乗用車生産工場であるトヨタの元町工場の一角にある。それは量産ラインと異なり、少量生産を可能にした生産ラインで、少し前、トヨタ初の本格スポーツカーLFA(世界500台限定生産)が作られた生産ラインであり、LFA工房と呼ばれ、一般には公開していないこともあり、今回、本コラムの中で紹介してみることにした。
実は、LFA生産ラインも見学に来た生産ラインで、私にとっては数年ぶりでもある。元町工場の一角に配備された生産ラインは、一目で全体が把握できるくらいの大きさで、コンベアーではなく人が手で押して車両が流れるラインで、その周辺に部品類等が効率よく配備されている。現在は、日当たり3台の生産ペースとのことだが、来年早々には9台に、そして最終的には日当たり12~13台となり、年産3000台にするという計画だ。
驚いたのは、僅か13人の従業員ですべての部品が組み付けられていて、クルマの部品点数は変わらないとのことで、一人あたりの組み付け作業量は30~40倍となり、その熟練性と正確性が問われる生産ラインとのこと。シャシー工程作業の一部を見ることができたがネジなども一つ一つトルクレンチで締め上げていくものだった。特に大変そうに感じたのは高圧水素タンクの取り付け工程だった。水素爆発を起こさないために、厳重な安全対策が取られていて、18箇所の締め付け箇所から水素が漏れることがないかどうかをチェックするために、危険性のある水素の代わりにヘリウムガスを使いガス漏れなど多くの点検をしながら仕上げて行く作業工程だ。念には念を入れての慎重かつ確実な組み付け作業がなされていた。こういった作業は、過去のLFA生産ライン技術から多くを学んで活かされているということを感じた。また、ファイナル工程(4名)では、主に内装部品の組み付けとドアの組み付けが行われていて、特にドア4枚を一人の作業者が30分程で仕上げていた。組み付けが終わった車両は本社工場に運ばれ水素が充てんされ、その後、再び元町工場に運ばれ、1200項目もの検査と、すべての車両が波状路など各種走行テストが実施され市場へと出ていくそうだ。
さて、このMIRAIのデザイン開発についてはどうだったのか。こういう新しいクルマのデザインをする時には、そのテーマ性をしっかり主張、アピールできないとうまくいかないもので、プリウス同様に難しいものだったと思われる。チーフデザイナーの西氏の話によると、FCV独自のシステムを大胆に解釈し巧妙かつ正確に表現する、新しい価値を一目でわかるようにするデザインが狙いで「知恵をカタチに」と言うテーマが決められたそうだ。すなわち、ユーザー目線で機能の見える化を進めるアプローチが必要だったと言う。作り手側の考え方を解り易く発信することで、ユーザーはその商品の価値を知ることができる。空気を吸い込んで水を出すということを、空気を冷やすことを象徴的に見せるユニークな逆三角形のフロントグリルで表現をし、水のデザインはサイドの流れるフォルムによるデザインを取り入れ、ボディとキャビンが水滴のような形状で表現されている。良い悪いは別として、子供でも分かるアイコニックな見せ方にこだわったという。最終評価はいずれユーザーが出してくれるだろう。
このMIRAIは、燃料である水素と酸素を化学反応させてできた電気を電力エネルギーとして使い、発電時には水しか生成されない究極のエコカーと言われている。燃料である水素は、使用時の二酸化炭素の排出がゼロで、しかも水素の原料は地球上にはほぼ無限に存在する。いわゆる、水素を利用するサスティナブル(持続可能)な社会が実現できる。
この考えは昔からあったが、なかなか量産車にできなかったが、今回のトヨタの技術開発がそれを実現可能にしている。その大きな理由が、走行時に発生する水が氷点下以下の環境では燃料電池の中で凍結してしまい、水素が流れなくなり発電が止まってしまうという大きな課題があったそうである。開発者であるFC技術・開発部の真鍋氏による開発秘話では、この氷点下環境で燃料電池が発電しているときに何が起こっているのかを地道に観察し、その結果「氷点下でも水が凍結するまでしばらく発電が続き、生成された水はすぐには凍らず水の状態を保っている」ということを突き止めたという。この短い時間に燃料電池の温度をゼロ度以上に暖めれば始動できると考えた。実際、非常に大きなヒーターが必要となるが、車両に大きなヒーターを載せることは不可能。そこで、燃料電池本体をヒーターに使うという着想で、ふだん車を高効率で動かすことに努力していることを、逆に超低効率で動かすことにするという「逆転の発想」をしたそうだ。即ち、システムを動かすために必要な発電量と、暖めるのに必要な熱量を両方とれる丁度良い「急速暖機動作点」を導いたとのこと。このことが、寒冷地でも燃料電池システムを始動させることができ、量産化への道を開いたことになる。真鍋氏が語る、それ以前にいろいろ調べた技術で、その時には何に役立つか分からなかった技術が活かされた「点つなぎ」だったと。
この燃料電池関連技術は、本年度の恩賜発明賞を受賞しているが、恩賜賞の授与が始まった1926年に豊田佐吉が、1938年に豊田喜一郎が受賞している。豊田佐吉や豊田喜一郎の発明の精神が長い時を経て、現代に「点つなぎ」のように繋がっているように感じた。過去にトヨタがプリウスを世界で初めてハイブリッド量産車として世に出してから、あっという間に市場にあふれたように、近い将来、燃料電池車がそうなる日もそう遠くないように感じた見学体験でした。