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第68回コラム
やってみる勇気―APEN追想

産業技術大学院大学学長 APEN会長 石島辰太郎

2014年5月29日、フィリピン・マニラのデラサール大学でAPEN理事会が開催された。APEN(Asia Professional Education Network)は産業技術大学院大学で研究開発を進めている専門職人材育成のためのPBL(Project Based Learning)という教育システムをアジア圏に普及し、アジアにおける専門職人材教育法の柱とすることを目的にして本学が主体となって2011年に設立された組織である。設立以来3年間でAPEN加盟大学は理事大学13、一般会員大学2、会員企業・団体5という規模となっている。そして特筆すべきは、APEN加盟大学は産業技術大学院大学を除き、他の全ての大学が学生数数万人を誇るアジア各国を代表する大学であることである。これこそはネットワーク型社会の特徴を表しているものと言える。各大学は、APENが掲げるPBL普及、さらには地域産業振興という目的に賛同し、具体的なプロジェクトを実行するためにネットワークに参加している。従って、具体的なプロジェクトが無ければAPENを構成している接着力は失われ、APENは簡単に解体してしまうであろう。つまり、学生数200人程度の規模の産業技術大学院大学がASEAN10カ国、中国、韓国の巨大大学を結びつける接着剤は、魅力あるプロジェクトであるということができる。言い換えれば、APENは加盟大学が様々なプロジェクトを実践するプラットフォームであるということになる。

それでは、APENは設立当初から現在のようなステータスを築けるという自信があったのかと言えば、それ程の確たる自信があった訳ではない。最初は、内心ではおずおずとPBLを中心とした専門職人材育成のための高等教育の重要性を主張し、各大学に賛同を求めたというのが真実に近い。一つには、本学のような小規模の大学にとって、留学生の受け入れや研究交流といった組織のグローバル化によって大学の質的改善を図るという戦略は現実的で無いという事実がある。実際、社会的に大きな影響力を持つような大規模な海外の大学にとって、本学との学生交流や研究交流を目的とした連携協定を結ぶことには殆ど魅力とはならないことは明らかである。そこで、本学の質的充実を実現するための手法として、大学という市場に受け入れられる魅力ある教育サービスを国際的な大学市場に売り込むことを通じて、教員および学生にグローバルな活動の機会を増やしていくという戦略を取らざるを得なかった。APEN活動の成果としてベトナム国家大学やブルネイの大学との間でグローバルPBLを実施、タイのタマサート大学でのPBLを柱とする教育研究機関AIDI(Asia Institute of Design and Innovation)設立、インドネシア・ダルマプルサダ大学でのPBLを柱とする大学院の設置、さらには今回もフィリピン・デラサール大学との間で英語教育の協定締結やPBL教育に関する連携協力についての合意、などが生まれている。これらの活動には必然的に多くの教員学生が参加しており、我々の戦略は正しかったという確信が生まれている。
振り返ってみると、こうしたAPENが辿った経緯は起業のプロセスに似ていると思われる。最初の発想は市場への受け入れ可能性に関する信念から生まれる。APENで言えば、専門職人材育成のための教育の仕組みとしてPBLが最適であるということとこれが国際的な大学の教育市場で受け入れられるであろうという信念である。しかし、この段階ではまだまだ不安で一杯である。そして、ここでは撤退してしまえばリスクは避けられるが何も得られない。背中を押してくれたものは、APENで言えば、本学の運営に対する助言をしてくれる産業界組織である運営諮問会議での計画表明と大学にとって他の選択肢が無かったという現実の2つである。そして、決断し実践へ。その後は様々な運命的な人との出会いを通じて、今度は生まれた企業そのものの生命力が主導権を持ち活動が活発化して行く。APENの現在の状況は、まさにこうした経緯を辿っている。現在はAPENは既に命を得てそれ自身の意思によって動き出しているように思える。これまで、APENの活性化を目的に様々なプロジェクトを発案し加盟大学や国との交渉を繰り返して来たが、最近ではAPENでの活動から次々に新しいニーズが生まれ、それを受けて整理し具体的なプロジェクトにする作業に追われるという状況になりつつある。これまで、川田研究科長や国際交流室長かつAPEN事務局長である前田教授とAPEN活動の活性化に向け努力して来たが、今や攻守処を変え、APENが我々を使っているという感を受ける場面が多くなって来ている。

起業のプロセスではこれからが組織拡大と運営組織の整備という段階に入っていくことになる。勇気を出して踏み切ったことから、企業が生まれ、それ自身が成長を始める。ここまでがおそらくは最も楽しい時代であり、ここからは組織内部の様々な確執や対立を調整し、組織の生命力を維持し発展させる、つまりは組織経営をすることが求められる。このフェーズでは企業の市場への影響力が増え、達成した仕事から得られる満足感や社会へ果たすべき責任は大きくなるが、組織内の軋轢など必ずしも楽しいという要素はそれ程多くなくなる。APENはまさにこの状況に達していると思われ、悩みも大きくなっていくものと思われる。しかし、これまでに達成された事実を見ると、その成果は感激的であり、やっぱりやって良かったとしみじみと思う処である。よく言われることだが、やらずに後悔することなかれというところである。ここでは、APENという事業のスタートとその軌跡を起業のプロセスと比較して見たが、実際にはAPEN事業は大学事業の一環として企画運営しており、その意味では新しく企業を起こす起業とは抱えるリスクの大きさが違うことは明らかである。しかし、リスクの大小を問わず、それを乗り越え行動に移すために必要とされる新しい市場を作り出す情熱と洞察が必要とされ、その上で自分を信じて一歩を踏み出す勇気、つまりは、やってみる勇気こそが至高の資質であると、スコールの雷鳴を聞きながらマニラの熱気に高揚された気分で考えている所である。

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