第62回コラム
男子の本懐:今時?いやいや?
創造技術専攻 前田 充浩教授
今を去ること四半世紀ちょっと前、社会人になりたての頃、年寄り(?)の上司が好んで使っていた「男子の本懐」という言葉が気になっていた。本懐、はともかく、男子、である。古臭いとか何とか以前に、ジェンダー上大問題ではないか。
年寄り達は、異動とか、引退の挨拶の時に、独特の恍惚とした充実感をもってこの言葉を使っていた。あの恍惚感を表現するには、この言葉しかなかったであろう。当時20代前半の私はそれを見ながら、ああはなりたくはない、という思い半分、いつかは自分もこの言葉で恍惚となる日が来るのかな、と思っていた。
それが、遂にその日が来た、というのが今日の話である。
産業技術大学院大学は、APEN(Asia Professional Education Network)という国際組織を主宰しており、私は事務局長としてその仕事に従事させていただいている(APENの話は長くなるので割愛。)。その仕事の中で、頻繁に、ああ、これが四半世紀前に馬鹿にしていた男子の本懐というやつか、と感じる次第である。充実感ならば若い時分にも感じただろう。しかし、あの独特の恍惚感は、齢50を過ぎ、季節の変わり目などにそろそろ「準備」を考えるようになって、初めて味わえるようになったものである。もっと言うと、オヤジが男子の本懐と口にする時の恍惚感には、特殊な匂いがするような気がする。フェロモンとか何とか、関係あるのだろうか。
例の1。2012年4月、APENは、ASEAN10か国の経済閣僚を大学に迎えた。大騒ぎである。ほぼ全教員、全職員の方々にお手伝いいただき、大変に感謝している。最後にバスで出て行く閣僚を、みんなで手を振って見送った。雨が降っていたけれど、傘をさすのはみっともない、ということで、濡れながら手を振った。バスが見えなくなるまでのことである。まあ、1~2分のことだろう、と思っていた。しかし!である。バスはシーサイド寄りの道に出ようとしたところ道が細くて曲がりきらず、長時間立ち往生した挙句、何と戻ってきて、海側の道から出て行ったのである。その間約30分。ざあざあではないものの、雨しとしと。みんなびしょびしょ。
バスが去った後、私はみなさまに大変申し訳なく、お詫びを、と思って振り返ると、何とみなさま、笑顔で、よかった、よかった、うまくいった、と。感激である。大変感謝である。
と、ここまでであれば、「ええ話」で終わるところ、その時、私に、あの恍惚感が降りかかり、思わず一人言を口にしたのである。嗚呼、男子の本懐なりや、と。
因みに、APENがアジアの閣僚級で認知されるようになったのは、この時(ASEANロードショー)の共同声明に、閣僚はAPENの活動を支援する、と入ったためである。みなさまのびしょ濡れは、大きな果実を生んだのである。
例の2。2011年6月にAPENを立ち上げ、その翌月、なぜか私はベトナムでチュオン・タン・サン大統領に面会する機会を得た。そこで中小企業ミッションの構想を話したところ、大統領は、大歓迎するから是非来い、と。いつ来るか、と言われたので、年「度」内には、と答えたところ、「それでは遅い!年内に来い!」と大叱責。で、それからみなさまに大変な御苦労をいただき、何とか12月にミッションを出した。で、ベトナム共産党本部で大統領と会談。私はこう言った。「大統領閣下。私のことを覚えていただいてますでしょうか。7月にお会いした時に、閣下から年内に来い、とのことでしたので、こうして参りました。」。それに対して大統領。「君のことは良く覚えている。約束を守ってくれて、どうもありがとう。」。
一国の大統領直々に、約束を守ってくれて、どうもありがとう、と言われたのである。これはもう、何の遠慮もなく、オヤジ全開で、男子の本懐の恍惚感。あの匂い。
例の3。2年前から毎週土曜日の私の講義の後、APENに関心のある学生の方々と研究室でAPENの話をすることを楽しみにしている。で、2011年11月、日ASEAN首脳会合(サミット)後、いつものように集まってくれた学生の方々に、私は、「みなさん、申し訳ない。あれだけ応援してくれたのに、日ASEANサミットのコミュニケにAPEN、入らなかった。」と言って、わざと、がくっと肩を落として落ち込んで見せた。もちろん、わざとである。すると、学生の方々は、先生、サミットって来年もあるんでしょ。来年がんばればいいじゃないですか。落ち込まないでください、などと言って、本気で慰めてくれた。
他人に本気で慰められること自体は、人間としては悪くない。一方、私は教育者でもある。なので、小一時間慰めてもらった後で、あの、君達、自分が何を言っているか分かってる?サミットだよ。でAPENでしょ。サミットのコミュニケの相場観、分かる?外交上最高レベルだよ、と説明。そこで、ああ、私達、からかわれていたんですか、と気付いていただいた。
ところが!それから苦節2年!今年の10月9日、バンダル・スリ・ブガワンで行われた第16回日ASEANサミットの議長声明パラ10を見よ!
APEN、何と!立派に入った。APEN、遂に首脳級で支持される組織となったのである。
その日、2年前にからかった(ごめんなさい)かつての学生の方々に、それを報告した。みなさまからは、次々にお祝いのメールが返ってきた。深夜、暗い部屋の中で、次々に送られてくるお祝いのメールを見ながら、男子の本懐を堪能した。普段は飲まない酒でも飲んで祝杯を、とも一瞬思ったものの、あの、独特の匂いに酔いしれて、結局酒は飲まなかった。
とまあ、こういう次第で、APEN、齢50を過ぎた身には体力的にきつ過ぎる仕事であり、時々本当に「お迎え」に出会いそうになる。しかしまあ、こうして存分に男子の本懐の匂いを楽しめるのである。若い時にはできなかった。オヤジの特権である。明日もまた、との思いで、老骨に鞭を打つのである。