第8回コラム
「『長期的ユーザビリティ』の観点からみたデジタルテレビの普及」
創造技術専攻助教 安藤昌也
先日の新聞によると、地上デジタル放送に対応したデジタルテレビの普及率が、60%を超えたそうです。これを多いと見るか少ないと見るかは、人によって違うでしょう。私は、デジタルテレビの普及には、特別の関心を抱いて見ています。私の関心は、様々な機能を持ったデジタルテレビが普及することによって、人々の“メンタルモデル”がどう変化するか、という点にあります。メンタルモデルというのは、操作する機器に対してユーザがイメージする働きやその構造を指します。
かつてテレビは、押せば見られる簡単操作の代名詞でした。できることは単純で、放送された映像をただ見ることでした。しかし現在のデジタルテレビは、様々な機能が複雑に組み合わされた“映像情報機器”になっています。放送に関連したデータ放送や電子番組表だけでなく、ハードディスクなどに録画できる機能が付加されたり、インターネットをつないでウェブの閲覧やビデオ・オン・デマンドサービスなども利用できたりする製品が増えています。
機能が増えるということは、それだけ操作体系が増えることを意味しています。そのため、いかに操作性を良くするかが、メーカーにとっては大きな課題となっています。いくら魅力的な機能を用意しても、ユーザに使ってもらえなければ意味がないからです。
使いやすい製品を作るための研究を、「ユーザビリティ研究」といいます。私の研究領域は、主にこの領域で、これまで大手家電メーカーとも共同研究を行ってきました。各家電メーカーでは、使いやすい製品づくりを目指して、日々ユーザビリティ活動に取り組んでおられます。しかし、現在の取り組みの多くは、個別製品の使いやすさを実現すること集中しており、長期的な視点でユーザの利用体験を検討する取り組みは、あまり行われていないようです。
テレビのような製品は、買った後長く使用する耐久消費財です。その間、ユーザはずっとその操作体系に従っていなければなりません。人間は順応性が高く、多少使いにくいものであっても、長期にわたって使い続けることで慣れていきます。また、利用経験を通して、新しいメンタルモデルを徐々に形成していきます。一度慣れてしまった操作性やメンタルモデルを変更することは、なかなかできません。そのため、他の製品の利用や購入の際にも影響を与えることになると考えられます。
身近な例で考えてみましょう。現在最も普及している日本語ワープロソフトのインターフェースが、最近のバージョンで大きく変更されましたね。そのため、やりたいことはわかっているのに、メニューが探せなくて困っている人は多いのではないでしょうか? そのことと同じです。つまり、現在普及しているデジタルテレビの操作性に対してユーザが持つメンタルモデルが、将来にわたり他の製品のインターフェース設計にも影響を及ぼす可能性があるのです。
ユーザビリティやインターフェースを長期的視点で考えることは、メーカーのみならず、ユーザにとっても利益につながる重要な課題だと言えます。たとえばあるメーカーでは、戦略的にどの製品にも共通した操作体系のインターフェースを提供しています。同一の操作体系であれば、ユーザが新たに学習する負担は軽減します。こういった戦略は、長期的な視点でユーザビリティを捉えた例と言えます。
このように、長期的な視点でユーザビリティを考えることを、私は「長期的ユーザビリティ(LTU: long term usability)」と呼んでいます。私はここ数年、この概念を提唱するとともに研究を重ねてきました。しかし、この研究はまだ緒に就いたばかりで、応用可能な知見は必ずしも十分ではありません。
今後、デジタルテレビの普及がユーザのメンタルモデルに及ぼす影響に着目しつつ、革新的で使いやすい製品づくりのために、研究を深めていきたいと思います。