第60回コラム
ものづくりにおける『つくり手視点』と『ユーザー視点』に潜む危険性
創造技術専攻 教授 吉田敏
このごろ企業のショールームを訪れる機会に多く遭遇する。各企業は、魅力的な雰囲気を演出しながら、洗練された空間としてショールームをつくりあげている。美しい照明や分かりやすいディスプレイによって、訪問者は未来性や非日常性などを感じながら、各社の製品やサービスを理解していくことになる。
それらの展示内容を覗き込むと、新製品がどれだけ今までの製品より技術的に優れ、新しい機能を備えているかを鮮やかにアピールしているものが多い。それらの説明には、「こんなに小さく、軽くなりました」とか、「こんなに安定して早く動くようになりました」という製品の技術開発における革新性や品質などの製品パーフォマンスに関わることが多いように思える。
工場に付設されたショールームでは、その工場で創られているものを説明するように歯車から細部の精巧さなどを展示し、創っている商品ラインの全貌を理解しやすいように押し並べて説明をしていることが多いように思える。
そして、それらのショールームの担当者が使う一番多い言葉が、「お客様視点」という言葉のように感じられる。ただし、この傾向は、ショールームだけでなく、営業やマーケティングの部門ではもちろん、企画や設計の部門でも頻繁にみられると言えよう。
先日、テレビの番組で、コンビニエンスストア産業のリーディングカンパニーで経験も知識も殆どない外部の人間が体験的に働くという内容をやっていたのを視聴した。そのなかで、商品企画の担当者が未経験の人間に対し、「店舗の中のお客様の仕草に注目するように」と注意を促していたが、そのことについて少々疑問を感じざるを得なかった。コンビニエンスストアは何を売っているのかを考えた場合、単なる商品だけでなく、気軽に必要なものを快適に入手し消費するという、一連のプロセス全体を価値として売っていると考えられる。顧客を理解するには、そのことに即した考え方が必要であろう。少なくとも、自分たちが一生懸命考えた商品のレパートリーや、並べ方、キャッチフレーズなどが顧客に受けているかどうかを考えることは、単に供給側の視点だけでとらえた話である。
また、業界の中で国際的にも主要なポジションにある国内自動車メーカーの、主要工場に付設されたショールームを見たときも、同様の違和感が生じた。そこでは、如何に製品の品質を上げるかということについて、繰り返し様々な表現によって説明がなされていた。そして、高い品質を実現するのは、すべて「お客様のため」であるという説明が加えられ続けた。
これらに共通している点は、自分たちがつくっている製品やサービスを中心に考えており、自分たちが苦労しながら達成した点、自分たちが工夫した点など、殆ど全てがつくり手の視点で発想されたものとなっていることであり、ユーザー視点とは少々異なるものである。
これらは、我が国を代表するリーディングカンパニーの殆どで多少なりとも見られる事実であると言っても過言ではないであろう。
日本の社会的基盤の中に、お客様への奉仕や、勤勉な取り組みが良しとされる部分があるのは否めないであろう。また、モノのつくり手が儲かる商売のことを考えることは、控えるべきであるという感覚もあるかもしれない。このような社会的側面も視野に入れる必要がある。また、モノのつくり手は、基本的にモノをつくることだけを考えていたい、という欲求があると言えよう。ビジネスのモデルを考えるよりは、コツコツとつくりこんでいきたい気持ちは理解できる。これらのことから、ユーザー視点をきちんと持ち続けることが難しいことであると言えるのかもしれない。
しかし、ここでは、ユーザー視点が持てるかどうかということの前に、極めて大きな盲点があることを指摘しておきたい。それは、「つくり手視点」を「ユーザー視点」と置き換えていることである。そのことが、つくり手自身の考え方を狂わせているとしたら、ビジネスモデル全体にどのような影響をおよぼすのであろうか。このような誤解が多くの国内企業で拭い去れないとしたら、未来に対して深刻な危険性をはらむことになるとは考えられないだろうか。
高度経済成長期に象徴されるような品質向上競争のみがモノづくりの課題の中心である時代が過ぎつつある現在、使い手や社会が価値を見出すようなモノをつくる必要がある中、大変な苦闘が予想されることになろう。