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第59回コラム
インド式数学、IT大国化の原動力?

情報アーキテクチャ専攻 助教 森口聡子

 83×87、76×74、48×42…
 TVのバラエティ番組を見ていると、あるタレントがこれらの2ケタの数同士の掛け算を一瞬で解いて見せ、ほかの出演者たちを驚かせていた。一瞬で解けたそのからくりは、昨今、日本で通称『インド式数学』として持て囃されている、インドの学校教育で教えられている計算方法によるものだ、と種明かしされた。

 番組で紹介されたのは、十の位が同じで、一の位の足し算が10となる2つの2ケタの数の掛け算の場合の公式で、共通している十の位の数字とそれに1を足したものを掛けた結果を左から書き始め、次に1の位の数字同士の掛け算の結果をその隣に並べて書くだけ、というものである。具体的な数字で説明すると、例えば83×87の場合、
共通している十の位の数字8から、8×(8+1)=8×9=72、
一の位の数字同士を掛けあわせて、3×7=21、
これらを単に左から並べて、7221が答え、というわけである。
76×74ならば、(7×8)と(6×4)を並べて、5624
48×42ならば、(4×5)と(8×2)を並べて、2016
という具合に、確かに一瞬で計算ができてしまう。もちろん、答えはあっている。怪しいと思われるならば、お得意の筆算なり、計算機なりで、検算されたい。

 番組では、だれでもすぐに使えるこの公式(メソッド)を紹介し、「インドの算数・数学教育はすごいですね」で締めくくられていた。バラエティ番組の構成上、そこで終わるのは仕方ないことなのかもしれないが、果たしてそれで大事なことを伝えたと言えるのかと、少なくとも私は、番組を視聴して物足りなさのようなものを感じた。表面的にメソッドだけが取りあげられた点が、気になったのである。

 優れたIT技術者を多数育っているインド。日本では、九九(9×9=81通り)しか暗記しないのに対し、インドでは19×19=361通り(あるいは、一昔前までは、30×30=900通りだったとか…)を暗記している、ということで、確か日本では当初注目を集めたインド式数学だが、インドにおける算数・数学教育で特筆すべき点は、それだけでは決してないのである。冒頭紹介した番組では、インドの教育の特徴として、暗記している掛け算の種類が多いだけでないこと、すなわち、早く計算できるメソッドを教えているということを、確かに話題にしている。だがそのメソッドの正当性、あるいは、メソッドが導かれるプロセスについては、一切触れられていない。このメソッドだけでは、とても特殊なケース(十の位が同じで、一の位の足し算が10となる2つの2ケタの数の掛け算の場合)にしか適応できないので、それほど有益なスキルとは言い難い。

 実際、インドの算数教育の現場では、今回掲げたメソッド以外に、簡単な計算の組合せで一見難しそうな計算が素早くできる様々なメソッドが教育されている。さらに、子供たちに計算過程についてもじっくり考えさせるという。「そのメソッドはどうして成り立つのか」という正当性、メソッドが導き出されるプロセスを、子供たちにじっくりと考えさせるのだ。メソッドの暗記だけでは、対して役に立たない。じっくりと考えることにより身に付く、論理的思考の基礎体力、継続学習のコンピテンシーが重要なのだ。様々なメソッドの蓄積にこれらが加わってこそ、有益な能力としてしっかり自分のものになる。

 ゼロの概念の発祥はインドである事実など、歴史的にもこの地域の数学分野の優位性は確認できる。インドで優れたIT技術者が多数育っているのはインド式数学のメソッドのおかげなのかと、飛びつきやすいメソッドに注目が集まるのも頷ける。だが,コンピテンシー教育をしっかりとしている点こそ、特筆すべき、見習うべき点と言えよう。

 さて、せっかくなので冒頭の公式くらいは、最後に証明しておこう。証明、と言っても、見ていただければわかるとおり、中学生程度でできるはずの簡単な式変形だけなので、どうか数学アレルギーだと思い込んでいる方も、毛嫌いしないでいただきたい。

 まず、掛け合わせる「十の位が同じで、一の位の足し算が10となる2つの2ケタの数」は、共通する十の位の数字をm(ただし,1≦m≦9である整数)、それぞれの一の位の数字をnと(10-n) (ただし,nは1≦n≦9である整数)として、

10m+n と 10m+(10-n)

と書き表すことができる。83と87の場合は、m=8、n=3で、10×8+3と、10×8+(10-3)というわけだ。この2つを掛け合わせて、展開して式変形してみよう。

 (10m+n)(10m+(10-n))
=10m×10m+10m(10-n)+10mn+n(10-n)
=10m(10m+10)-10mn+10mn+n(10-n)
=100m(m+1)+n(10-n)

この式変形の結果はすなわち、元の共通している十の位の数字であるmとm+1 を掛けたものの百倍と、元の数字の一の位同士の掛け算の結果を足し合わせたもの、ということだから、前述のとおり、掛け算の答えとしては、単に二つの掛け算の結果を左から順に並べて書けばよいのである。

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