第7回コラム
「『種を蒔く人』のたとえ」
情報アーキテクチャ専攻教授 加藤由花
「また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(新約聖書:マルコによる福音書4章8節)
この箇所の本来的な意味は、神の言葉を聞いて受け入れる人たち(良い土地)に神の言葉(種)が蒔かれると、大きな恵みが得られるというものです。ここでは引用しませんが、同じ箇所には、石だらけの土地に蒔かれるとすぐ芽がでるけれども根がないのでしばらくして枯れてしまう、茨の中に蒔かれると茨が芽をふさいでしまい実らないという記述もあります。このたとえは、宗教的な教えを越えて、私たちの日常生活や仕事に関しても、示唆に富んだ言葉になっています。同じ種であっても、蒔かれる土壌によってその実りが大きく異なることは誰しもがよく知っていることですし、そして、私たちはそのような良い土地に自分の種を蒔きたいと思っています。仕事の成果が大きく実るようにとか、自分自身が大きく成長できるようにとか...
このコラムでは本来、私の専門分野であるコンピュータネットワークに関するトピックを取り上げるべきなのかもしれませんが、今回はこの言葉から、良い土地を作り出すというのはどういうことなのか、そしてその土地を良く保っていくためにはどうしたら良いのかということを考えてみたいと思います。
土地を良く保つために私が必要だと考えることは、学び続けることにより自分自身を変化させ続けること、そして多面性を身につけることにより広い視野を獲得することの2点です。つまり、習慣として学習「し続ける」ことが重要なのではないか、と考えています。本学、特に私の所属する情報アーキテクチャ専攻は、社会人に対する教育を一つの柱としていることもあり、学びなおし、生涯学び続けるという視点を強く持っています(修了後10年間、講義ビデオの視聴が可能など)。これは技術の進歩の速い領域なので、常に知識をブラッシュアップする必要があると説明されることが多いのですが、私自身はそれだけが目的ではないと思っています。学ぶことは、自分の意識の外で少しずつ人を変化させていく大きな力になります。人は自分と関わるあらゆる環境から様々な影響を受けます。これは当然のことで、これが長期的な視点で見たときの一人の人間の変化につながります。ただ、社会に出た後の人間は、よほど意識していないと、環境からの学びが偏った限定的なものになりがちです(もちろん、意識的に様々な学びを実践している多くの方々が存在していることは承知しています)。学び続けることは、常に変化し続ける、つまりより広い視野からものごとを捉えることができるようになるための、最も基本的な行動規範であると思います。これは、学んだ技術やスキルが直接仕事に活かせるというような短絡的のものではなく、土地を良く保っていくという根源的な意味での規範です(多分に教養主義的な見方ではありますが)。学ぶことは人を謙虚にします。知ることにより、多くの知らないこと認識します。これらの行為は土地を耕し、良い土地を作り出す基本姿勢になります。大学院教育、社会人教育の意義は、良い土地を保っていくという意識の下に学び続け、その習慣を形成していくことにあるのではないかというのが私の思いです。
私は9年間の企業勤めの後、大学に戻り、再び学びの毎日送るようになりました。企業勤めの間、学んでいなかったわけではありませんが、やはり効率が優先され、何かをゼロから時間をかけてきちんと学ぶということからは、多少距離を置いていたように思います。学び続けることによって、それが直接仕事に関係のないことでも、自分自身は確実に少しづつ変化していきます。スキルとか能力だけでなく、ものごとの感じ方が変わっていきます。大学に戻ってからの継続的な学びは、土地を良く保つという意識を私に再び思い起こさせてくれています。