第6回コラム
「遊びをせんとや生まれけむ」
創造技術専攻助教 網代剛
今年も桜が見事でした。
良い時も、悪い時も、こちらの都合“お構いなし”に咲き誇る-そんな花を畏れつつ、そんな花の下では、こちらも暫し現世(うつしよ)を忘れて、夢の世界を漂う異形となりたい。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
笑う童子の声聞けば
我が身さへこそ揺るがるれ(『梁塵秘抄』より)
でも、会社でコレやるには…。白昼コレやるには…。ちょっと勇気要りますよね…。そう、遊びって怖いんです。
こんにちは。網代です。「ゲームの教育利用」を研究しています。第6回となりました「連載コラム」今回は、そんな私の研究をご紹介しつつ、本専攻のキーワードであります“創造”に、思いを馳せてみようと思います。-よろしくお付き合いください。
ひとくちに「ゲーム X 教育」と言ってしまうと、漠然としすぎていて、建設的な議論ができません…。これを、研究と呼ぶためには、「ゲーム」それから「教育」を、より細かな要素に分解する必要があります。例えば「ゲーム」と一口に言うけれど、何がゲームなのかしら?-3Dのグラフィックスが動くこと?-さいころを振ること?-競うこと?…と、いろいろな要素が隠れていそうです。「教育」についても然り。何を教育と呼ぶのかしら?
こうした中で、「教育」の具体的な要素を定めて、目的とします。次いで、目的を実現するための手段として「ゲーム」を細かな要素に分解して、目的に寄与しそうな要素を、試行錯誤を繰り返しながら、探してゆきます。-すると、研究らしくなったでしょう。
具体的には、次の2つの方向を考えています。
目的1.代替案がより多く出てくる環境の提供
目的2.より短時間でより脱落者が少なくなる講習の実現
はじめに1.(代替案がより多く出てくる環境)について。みなさんが、幼少の頃(今でも?)の遊びの記憶をたどってみてください。ご当地ルールがあったり、自分たちでルールを作ったりして遊んだ記憶はないでしょうか?-例えば「カンケリ」。あるいは、ちょっと古いビデオゲームをプレーしていて「オレだったら、こうしてやるのに・・・」「ワタシだったら、こんな結末にする・・・」といったことを思った記憶はないでしょうか?こうした遊びの記憶たちを、少しだけ格好良く「既存のものに基づく、新たな価値の創造」と呼び、さらに、今日社会で求められる“産業を活性化する新たな技術の創造”に応用できないか-と考えています。さて、この目的に寄与できる「ゲーム」の要素って何かしら・・・?
続いて2.(より短時間でより脱落者が少なくなる講習の実現)について。みなさん、昨今のゲームのルールの複雑さに驚かされたことはありませんか?さらに、そうした複雑な体系をもつルールを、小さな子供たちが、平気で使いこなしている様子に、またまた、びっくりしたことはありませんか?どうやら、「ゲーム」には「複雑な情報の体系を短時間で正確に伝える」ことができる要素が隠れているようなのです。この要素を、抽出して、技能や知識を習得する講習の設計に応用できないか-と考えています。さて、この目的に寄与できる「ゲーム」の要素って何かしら・・・?
例えば-逞しく新技術を生み出し、町に笑顔を溢れさすコトができないかしら・・・。
例えば-鮮やかに教育の格差を消し去るコトができないかしら・・・。
そんなコトを夢に見ながら、今日も ちくちく と試行錯誤を続けています。
そんな網代が創造技術に見る夢は・・・。
一見、言葉になって、見えた気になっているもの(例えば「ゲーム」)を、細かい要素に分解してゆきます。すると、それまで見えていなかったコトが、ごろごろ と、出てきます。これぞ科学っ!-という気がしませんか?(因みに、字引きを当たると、科学の「科」の字には、(細かく)分けるという意味があるそうです。)そんな風に考えると…。科学とは、そのままでは見えないコトを、明るみに引き出す行為、暗闇と白昼とを、行ったり来たりする行為、異形と現実とを行き来する行為-と思えてきます。(ポイントは“行き来”することでして…どちらかに“行きっ放し”では…やっぱり、ちょっと困ってしまいます…。)願わくは、東大井の地で、みなさんと、時に夢に飛び、時に現に降り立ち、創造を堪能できたら-素敵だなぁ…と思っています。
最後に、趣味を紹介します。
画像はミニチュアカーです。ランボです。只、そこに居るだけで、夢の世界に連れて行ってくれるヒミツのアイテムです。でも、とてもデリケートで、いつも細心の手入れをしてあげないと、あっという間に劣化してしまいます。夢-も、とてもデリケートで、いつも細心の手入れをしてあげないと、あっという間に、傷つき、錆つき、朽ち果ててしまいます。ガレージやショウケース仕舞い込んで閉じ込めてしまうのも、少し可哀想な気がします。いつも手入れをして、大切に守りつつ、長く付き合ってゆきたいものです。
追伸:ミニチュアカー
ついつい、一直線に集めてゆくだけのコレクションに陥りそうになってしまいます・・・。でも・・・すると程なく、お財布が趣味の継続を拒むか、気持ちがそっぽを向いてしまいます。そこで、江戸趣味よろしく、季節に注目しました。同じミニチュアを、季節によって装いを変えることができたら、ずっとずっと長く付き合ってゆけるような気がしています。