第156回コラム
生成AI時代に『サービス』を改めて考える
2026年10月1日
細田 貴明 教授
2019年、本学に着任して間もない頃、「サービス視点から見たシステムエンジニアのあり方」というコラムを書いた。その冒頭では、私が20代の頃、仕事がうまくいかないときに上司から何度も言われた言葉を紹介した。
「お前は誰のためにシステムを作ってるのか?」
当時の私は、システムを作ること自体が目的なのではなく、その先にいる利用者が円滑に仕事を進められることが重要だと考えていた。仕様書に書いてあるとおりに作ればよい、言われていないことは知らない、ではなく、利用者の立場から考える。だから、システムを提供する仕事も一つのサービスなのだ、というのが当時書きたかったことである。
あれから7年が経った。
現在の私は、大学で教育・研究に携わり、サービスについて考える機会も多くなった。その間、さまざまな変化があったが、近年、私の考え方に大きな影響を与えているものの一つが生成AIである。実際に使う中で、最近、「もう、システムについて細かなことまで一生懸命勉強しなくてもよいのではないか」と考えることがある。
分からないことがあれば、その場で生成AIに聞けばよい。技術の概要を説明してくれるし、プログラムも書いてくれる。エラーが出れば、その原因や対処方法も示してくれる。以前なら本やマニュアルを調べながら何時間もかけていたことが、短時間で解決することも珍しくない。細かなコマンドや設定方法まで覚えておくことの意味は、以前より確実に小さくなったと感じている。
ただ、ここまで考えて、一つ引っ掛かった。
私が「分からなければ生成AIに聞けばよい」と思えるのは、これまでシステムに関する仕事をしてきて、ある程度の基礎があるからではないか。生成AIの回答を読んで、「何となくおかしい」「この条件では使えない」「別の方法もあるだろう」と判断できるのも、そのためだと思う。そう考えると、仕組みを理解するための基礎まで不要になったわけではない。むしろ、生成AIが出した答えをそのまま信じるのではなく、自分で判断するためにこそ、基礎が必要になる。
ここで、もう一つ気になることがある。これまでシステムを作る側ではなかった人も、生成AIを使って自分で作れるようになっていることである。
利用者自身が、自分の困っていることを生成AIに説明し、解決策を考え、簡単なプログラムや資料まで作ることができる。以前であれば専門家に依頼していたことの一部を、自分でできるようになったのである。
2019年のコラムでは、システムエンジニアをサービスの提供者、顧客や利用者をサービスの利用者として考えていた。そのうえで、提供する側はもっと利用する側のことを考えるべきだ、と書いた。しかし、利用する側が生成AIを使って自分で作り始めると、「作る側」と「使う側」という区別は曖昧になる。その時に前提としていた提供者と利用者の関係を、今では同じように捉えることが難しくなっている。
これまでも、サービスでは、提供者と利用者が関わりながら価値が生まれると考えられてきた。しかし、生成AIを使えば、利用者が提供者を介さず、自分で解決策や成果物を作ることもできる。これは、提供者と利用者が関わりながら価値を生み出すという従来の関係と、まったく同じなのだろうか。さらに難しいのは、十分な基礎知識がなくても、生成AIを使えば一見それらしい成果物を作れてしまうことである。先ほど、生成AIの答えを判断するには基礎が必要だと書いたが、利用者すべてがその基礎を持っているわけではない。
その成果物に問題があったときはどうなるのだろう。
「生成AIがそう言ったから」で終わるのか。それを採用した人が判断したことになるのか。それとも、そもそも誰が判断したのかさえ曖昧になっていくのか。一方で、「ここから先は人間にしかできない」と簡単に線を引くこともできない。今日、人間の役割だと思っていることを、明日には生成AIが担っているかもしれないからである。ただ、能力が代替されることと、判断した結果をどう扱うかという問題は、同じではないように思う。
そこで改めて、20代の頃に上司から言われた言葉を思い出す。「お前は誰のためにシステムを作ってるのか?」
2019年には、この問いの「お前」はシステムを作る人であり、「誰」は顧客や利用者だった。今振り返ると、かなり分かりやすい構図だった。しかし今では、「お前」が誰なのかさえ、以前ほどはっきりしない。専門家なのか。生成AIなのか。生成AIを使って自分で作る利用者なのか。あるいは、それらが一緒になって何かを作っているのかもしれない。
この問いは、古くなったどころか、私にとって以前より難しい問いになった。この問いに、私はまだ答えを持っていない。だからこそ、生成AIによってサービスを提供する側と利用する側の関係がどのように変わり、そこでどのように価値が生まれるのかを、これからも教育や研究の中で考えていきたいと思う。