English

第129回コラム「異世界に転生したら大学教授でした」

2021年3月29日

奥原 雅之 教授

 というわけで、2020年度より情報セキュリティ関連の授業を担当している奥原です。去年までは、とあるICT企業のシステムエンジニアリング部門で、情報セキュリティ関連の技術調査や情報セキュリティ事故対応などの仕事をしていました。ほぼ研究とか講義とかといったものに無縁な人生だったので、現在の境遇はまさに異世界に転生してきたような、新鮮な驚きの日々となっています。転生時に神様からチート技も特殊技能ももらえなかったので、経験値をゼロから積みなおしつつ修行にはげんでいます。

 そんな前職の経験に基づき、今回は「緊急事態」をテーマにお話しをしたいと思います。思えば、この2020年ほど「緊急事態」という4文字を身近に感じた年はなかったのではないでしょうか。とはいえ、緊急事態は何も感染症の蔓延に限って発生するものではありません。わずか10年前には、東日本を中心に起こった大規模な自然災害がありました。これも間違いなく緊急事態の一つでした。また、私が担当していた情報セキュリティの事故対応(この業界ではなぜかセキュリティインシデントと横文字で呼びたがります)も当事者たちにとっては立派な緊急事態です。

 緊急事態とは何か。文字通り、「緊急を要する事態」です。何か普通でないことが発生しており、とにかく急いで対処をしなければならない。正しい対処を行わなければ、事態はどんどん悪い方に進んでいく。そんな感じの、私のようにデリケートな小市民にとっては胃が痛くなるような状況が緊急事態です。

 さて、緊急事態にも色々なものがあると思いますが、おそらくすべての緊急事態と呼ばれる場面において、確実に必要となるもの、何をおいてもまず確保しなければならないものが一つあります。それは何でしょうか。「食糧」「水」「燃料」「電気」「現金」「人的資源」……。はい、どれも必要です。でも、一番大事なものが他にあります。

 緊急事態において、何をおいても最初に確保するべきもの、それは「情報」です。緊急事態は、一般に「何が起こっているかわからない」状況から始まります。緊急事態で最初にするべきアクションは、「今何が起こっているかをできるだけ正確に把握すること」です。緊急事態においては、限られた資源を、限られた時間の中で、できるだけ効果的に活用して事態に対処しなければなりません。多くの場合、100%の成果を出すことはできません。どうしても、対処において優先順位を決定する場面が出てきます。この判断を間違わずに行うために必要不可欠なものが、正しい情報です。

 例えば震災を例に取ってみましょう。災害における被災者保護や復旧のためには、多くの資材が必要になります。しかし、このような状況において、必要な場所に必要な量の資材を届けるためには、需要と供給をマッチングさせ、さらにそれを正しく輸送するために、大量の情報を迅速かつ正確に処理する必要があります。このような情報処理の仕組みは、一般にロジスティクスと呼ばれます。緊急事態への対処には、緊急時のロジスティクスの確立が不可欠です。

 情報セキュリティ事故の場合も、情報が必要なことに変わりはありません。事故がなぜ起きたのか、攻撃者は誰なのか、動機は何か、システム内のどこまで侵入されているか、利用されたセキュリティホールは何か、こういった情報をできるだけ迅速に収集しなければ、攻撃者の次の攻撃による被害拡大を防ぐことができません。情報セキュリティ事故の場合に厄介なことは、自然災害と違い攻撃者は「意思」と「知識」を持っていることです。彼らの意図を阻害するためには、迅速な意思決定と対処が最大の武器になります。

 このような情報収集においてきわめて有効な手段が、緊急時の情報収集のための準備をあらかじめしておくことです。情報は自然に集まってくるものではありません。正しい情報を迅速に集めるためには、そのための仕組み(システム)が必要です。それは、緊急時になってから構築しているのではとても間に合いません。何も起きていないときに、何かが起きることに備えて、情報収集のための仕組みを整備しておけば、何かが起きた時の「時間を買う」ことができます。そして、そのような仕組みの構築には、皆さんが持っているような情報システムのエンジニアリングの知識や技術が不可欠なのです。

 今回は、緊急事態において何が役に立つかについてお話しました。これらの点を抑えておけば、将来皆さんが突如異世界に転送されるような状況においても、きっと何かの役に立つと思います。最近は路上で自動車事故に遭うのが異世界転生トリガーのトレンドらしいので、屋外に出る機会が減っているとは言え、皆さんくれぐれも交通事故などに遭わないようにご注意ください。

PAGE TOP