第124回コラム「私の選択」
2020年10月7日
木下 修司 助教
今年1月に本学助教として赴任した木下です。私の経歴は情報系大学院の教員としてはちょっと変わっていまして、学部生の頃は東京大学文学部でインド哲学や仏教を専攻していました。当時、それなりに人生に思い悩む文学or哲学青年でした。出家するかどうか真剣に考え、在家として仏道を生きるという選択をした後、紆余曲折を経て現在に至ります。
選択と言えば、私の所属していた東京大学文学部では、本学のコラムのように教員が(主に進学先研究室を検討する学部1、2年生向けに)エッセイを書くシリーズ「私の選択」というものが昔からありました。私が駒場にいた頃は紙媒体しかありませんでしたが、2006年以降のものはウェブサイトでも公開されています(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/teacher/essay.html)。さすがに文学部の先生だけあって皆さん文章が達者で、いまでも時折思い起こしてはアクセスして読むのですが、私も私なりの「選択」について考え、このコラムを書いてみます。
この文章を読んでいる方の一部は、おそらく本学への入学を検討されているのではないかと想像します。その方にお伝えしたいのは、ぜひ、いま大きな一歩を踏み出して、学び直しの道を「選択」してほしいということです。私自身も、もう10年近く前になりますが、現場でシステムエンジニアとして勤務し、さまざまな艱難辛苦(いわゆるデスマーチ)に直面するうち、「もっとコンピュータやシステム開発のことを勉強して現場の課題を解決したい!」と思い、会社を退職して、大学院生になりました(そのとき産技大も受験先候補のひとつだったのですが、関西在住であったため断念したことを鮮明に記憶しています…)。
私の人生において大きな選択のひとつは、その「会社を辞めて大学院に入る」という選択であったと思います。選択というものは自分ひとりで可能なものではなく、あのとき、その選択を支えてくれた妻や両親ほか、周囲の人々には感謝しかありません。
このときの選択についてもう少し掘り下げてみます。こうやってコラムを書いてみて気づきましたが、選択という言葉には、単なる「決断」「決定」とは異なり、複数の選択肢から1つ(あるいは複数)のものに決める、という意味合いが強くなります。当時の私の選択肢は何だったのかと思い出してみると、おおよそ以下のような感じでしょう。
1. 同じ会社で働き続ける
2. 他社に転職する
3. 仕事を続けつつ社会人向け大学院に通う
4. 会社をやめて大学院に通う
2はあまり考えていませんでした(自分の会社は好きだったので)。3は結構考えていて、いくつかの大学院説明会にも行った記憶があります。4については、金銭的な目処をどうするかを結構真剣に考えていたようで、Google Driveの昔のファイルを検索すると、毎月の資金繰り計画、みたいなのがたくさん出てきます。最終的に、日銭を稼ぐことは諦めて時間を取るべきだと考え、4を選択しました。結果、修士・博士の5年間でかなりの時間を新たな分野の学習に費やすことができたことで、現在のようにキャリアチェンジ?できたのではないかと思います。
と、書いてみましたが、この選択がそこまで主体的なものだったのかと改めて考えてみると、なんだかそうでもないような気がします。私自身は小さい頃からプログラミング大好き少年で、そこから文学や哲学に転じたということもあり、たまたま就職活動してSE職の内定しかなかったことも、会社を辞めて情報系の大学院に入ったことも、本学のような情報系の大学院大学に奉職することになったのも、ある意味神様、いや仏様のお導きのような気がしてきます。そもそも主体的な決断などというのは存在するのか?と不思議な気持ちになり、ふと左手の本棚に目をやると学部生の頃に買った「岩波仏教辞典 第二版」があり、「選択」は仏教用語だったなと思い出し、このテーマをコラムに選んだのは自分ではないような気がしてきました。彼岸も過ぎて曼殊沙華が満開ですね。