第12回コラム
「雑談」
創造技術専攻教授 管野善則
教育・研究のメソッド・・・・・何が正しくて、何がダメ! こんな事が簡単に分かれば苦労はない。「これが正しい手法だから、これを遣りなさい」・・・・「こうしなさい」・・・・もう、この段階から、ズレてしまっていると私は思う。みんな違って、みんないい(金子みすずの談)。玉石混合の中から、一品が出る。必ず、成果を上げねば成らないものでも無い。ただ、必用なのは汗を流し日夜努力する。・・・・・たとえ、それが失敗しても構わない。寧ろ成功しない方が後々、大きなものを作り上げるチャンスに遭遇するかも?必用なことは絶えずpositive・・・・何とか成るさ!・・・・ケセラセラ・・・・never give up。
上述した、「大きなものを作り上げるチャンスに遭遇するかも?」について注釈を加えれば、・・・昨今、余りに短時間に成果を求め過ぎている。これは人生、行き方、成果も含めて、いつ、誰が、何処で、何を・・・作り上げるかわからない。時間の関数として捉える概念が無さ過ぎ。常に、「今・現在」・・・これだけが強調され過ぎている。人の成長関数は人それぞれ。私立中受験でピークの人、高校受験でピークの人、大学受験でピークの人、博士課程終了時にピークの人、40代でピークの人、50代でピークの人、はたまた、定年後ピークの人、もしかして死ぬ直前にピークの人・・・・人それぞれ。自然界では、エントロピー増大、・・・常に平衡状態に向かうベクトル方向で移動が起こる。エネルギー順位の等配分・・・それが原則。人間の場合も、エネルギー順位の等配分原理。必ず、どの人にもチャンスは均等に廻って来る。但し、絶えず、汗水流し努力した人に適用ですが!遊んでいて、廻って来ることは無い。マネーゲームだけで、・・・・それは無理。技術者は汗水流す。・・・・これが技術者の特権。
あまりにも、過ぎたる画一教育をする事について、私は懐疑的である。実体験の無い、座学のみの「絵に描いた餅教育」。「空想教育」。「成功のみが正しく、失敗は悪である教育」・・・「ペーパー点数のみを気にする教育」。これにも懐疑的である。試験の点数が何ですか?点数を上げる事がそんなに重要ですか?「失敗して何が悪いんですか?」「一生懸命努力した結果、失敗したなら構わないでしょう」。・・・・・・点数等全然気にならない、そんな人物が多くなることを願っている。
さらに、「過ぎたる画一教育をする事について」のコメントですが・・・自然界は複雑。
セオリー通りには行かない。何が起こるかわからない。縦横無尽に変化をきたす事柄に対して画一教育は弱い。カオスに柔軟に対応する・・・・適用できる能力は、「みんな違って、みんないい」・・・この概念から生まれる。
これが正しい・・・こうしろ・・・・こうせねば成らぬ・・・こうなっている・・・・こういうもんだ・・・こんな「義務」教育は新種の芽を潰す。これこそ秦の「始皇帝」。一見すると統一されて、効率が良く素晴らしい・・との評価を受けるが?その段階から成長がストップし、下り坂。全員同じ意見に統一されているので、自分達が可笑しくなっていることに気がつかない。多数の違った意見が存在する所に成長の芽がある。