研究

教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 107回コラム

    「江戸文化×デザインエンジニアリング」から考える「関係性」のデザインについて

    創造技術専攻 海老澤 伸樹 教授

 平成30年11月9日に法政大学において、法政大学江戸東京研究センター(EToS)とAIITによる『江戸文化×デザインエンジニアリングの可能性』という興味深い講演会が行われた。これは東京150年記念事業として、法政大学江戸東京研究センターシンポジウムとAIITイノベーションデザインフォーラムの合同開催という特別企画として開催されたもので、当日は法政大学総長の田中優子先生による『連の江戸文化』という講演を第一部とし、AIITの名誉教授である福田哲夫先生およびAIIT助教の金箱淳一先生がそれぞれ『「関係性」で磨く新幹線のデザイン』、『江戸から学ぶ関係性・身体性とデザイン』という題名で第二部講演を行われた。約2時間の講演時間が短く感じられる多様性に富んだ興味深い講演会であった。
 3名の先生がそれぞれの視点から「関係性」というキーワードを軸として、御自身の研究の成果をわかりやすくご紹介することで、江戸文化から現代デザインに至るまでの多様な切り口で日本的な価値観としての「関係性」のあり方の一端を考えていくという趣旨である。今回のこのコラムでは、当初からこのフォーラムを企画した意図などをもう少し詳細にご紹介しつつ、「関係性」という言葉をキーワードとして次のデザインの方向性を考えてみたい。
 
 近年はグローバリズムとかグローバル化という言葉があらゆる場においてまず考慮すべき重要な価値として語られている。それは単に英語が話せるとか、世界中どこでも働くことができるとか、世界中に製品を提供することができるということだけを指すのではないと思う。もっとも重要なポイントはグローバルに通用する価値創造のあり方ではないだろうか。現代の情報化革命や、人やモノの高度なロジステックスのネットワーク化によって、マクロ的に世界は次第に同質化の方向に向かっているように思う。例えばマクドナルドのハンバーガーやスターバックスはほぼ世界中で同じように体験することができる。ファッションも同様で、例えばムスリム女性の身につけている黒いアバヤやチャドルの下は最新のデザイナーズジーンズだったりする。このように世界中の価値観が次第に同質化してくる中で、価値として見出されて行くのはある種の固有性ではないだろうか。しかしその固有性は理解され、受け入れられなければ価値とはならない。すなわち普遍的に理解できるコードの上に立脚した固有性が価値となる。あなたは旅をしたいと思った時に自分の日常的な風景の中を旅しようと考えるだろうか。その土地固有のその場所にしかない風景や食べ物を体験したいと考えるのではないだろうか。しかし、その土地固有の食べ物が、通常の自身の日常的な食べ物とあまりにかけ離れた、例は悪いかもしれないが昆虫食のようなほとんどの人が受け入れられないものであった時は、その固有の食べ物は価値とはならないということである。
 
 このような普遍的コードに立脚した固有性という観点から、日本の考えるべき価値創出の一つの方法論として「江戸文化×デザインエンジニアリング」があるのではないだろうか。かつてアップルのスティーブ・ジョブズは創造性を「我々はテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立たなければならない」と表現した。この表現を演繹すればテクノロジーは現代の情報化社会の進展のなかで、世界中で共通の普遍性を持つもの、すなわち普遍的コードだと考えられる。とすれば固有の価値はまさにリベラルアーツの違いかもしれない。欧米の価値観の基礎となっているのはおそらくギリシャ哲学とキリスト教だろうし、中国は共産主義+中華思想かもしれない。ムスリム世界における価値観の基本もまたイスラム教であろう。そうすると日本の我々の日常的な価値観の基本には江戸時代に確立した「日本」があるかもしれないという仮説である。
 今回はその中から特に「関係性」の重視という日本的な価値観に注目している。日本文化の特徴の一つに絶対性よりも相対性を重視してきたという点がある。一神教の絶対性に対する、八百万神の存在や神仏習合など、仏教と神道が交錯することを許容する相対的な価値観である。漢字の書体から援用され、連歌や作庭まで用いられた『真』『行』『草』という概念がある。文字で言えば『真』はいわゆる楷書であり、公の場で用いられる書体である。『草』はカジュアルな崩字で私的な文章や速記などに使用されてきた。この中間の書体が『行』である。「行は真ならず、また草でもなし」という言葉がある。欧米的な絶対的な概念であればフォーマルとカジュアルという二項対立的な対極的な分類で済ますが、その中間状態を相対的な存在として積極的に認めている点が重要である。その中間状態のグラデーションの度合いは様々であり、場と状況により様々に変化していく。いわば「間」という定義し難い状態をメタ的に概念化しているともいえる。松岡正剛氏は「うつろい」という言葉で日本独特の美学としてこれを評価しているが、この「うつろい」という概念がまさに場の関係性に即した相対的な思考と言えるのではないだろうか。
 渡辺京二氏の著名な著作に『逝きし世の面影』という、江戸末期から明治にかけて日本を訪れた外国人から見た、当時の日本人の様々な生活の様子を記した本がある。そこに記されているのは当時の日本を訪れた外国人が目の当たりにした、貧しいが高度に文化的に洗練されている日本人の姿である。その中で筆者が特に印象的だった記述に、当時の人々が用事で外出した際に、偶然に道で知人に出会うと10分でも20分でも互いに挨拶を交わして世間話をしているというエピソードがあった。これなども人々が、出会いという新しく出現した場の「関係性」を、当初の自身の外出目的(「構造」)よりも重視していたことの証左であろう。
 空間なども構築の仕方も西欧的な二項対立の概念とは異なる。西欧的な建築においては壁と天井で外部と内部が完全に隔離されることによって、初めて空間が生まれる。日本建築の場合、縁側などの構成に顕著に表現されるような内部でも外部でもない空間が存在し、状況によって自由に関係を構築していく。極端にいえば地鎮祭のように四隅に竹を立て注連縄で囲うことによってもそこは神の降臨される空間となるのである。伝統的な日本家屋において、空間は物理的に完全に分離できない紙や木で構成される障子や襖などの可動壁によって、使われ方や状況に応じて自由に構築され、またそれらによって一時的に確立した空間であっても更に内部に屏風や衝立を置くだけでもそこは一つの別の空間として認識される。その時の場に存在する人や、状況との関係性によって空間が自由に変容するのである。
 また歌舞伎などに見ることのできる日本のドラマツルギーのあり方も「関係性」にポイントがあることに気がついた。例えば代表的な演目である『勧進帳』は安宅の関守である冨樫と変装した主君義経を守る弁慶の葛藤が主題である。主君を守るために弁慶は白紙の巻物を勧進帳として読み上げ、また主君である義経を打ち伏せる。その姿に感動した富樫は弁慶の嘘に気が付きながらも一行を見逃す。すなわち「構造」としての「関守」よりも最終的に場に生成する義経と弁慶の「関係性」のあり方に感動し、「構造」としての自身の役責よりも場の「関係性」を優先する判断をする。その葛藤する姿に観客も感激するのである。逆にシェークスピアの4大悲劇などを見ると、例えば『マクベス』なども主殺しという「構造」への反逆がすべての破滅を誘うというつくりである。むしろ構造(運命)に逆らおうとしてあがく人の姿を悲劇としてみていたように思える。このような日本文化の一つの特徴とも言える「関係性」への眼差しが、グローバル時代において固有性としての価値観に転化する方法論の可能性を探るのが今回の講演会の目的であった。
 
 今回の講演では田中先生は江戸時代の連における個人の中の多様性や連句による場の転換の可能性、エコシステムとしての江戸の循環性についても示唆されていた。新たな創造のシステムとして連のような人と人の関係性のあり方、連句による意味の転換の創造性、また「狂名」をはじめとする非日常な場で自身を表現する多名性など、現代の様々なオープンイノベーションや創造的インキュベーションビジネス、またマルチライフなどとも言われるこれからの価値観に連なるライフスタイルがすでに江戸時代に完成されていたことを示唆されていた。福田先生はご自身の新幹線デザインにおいて、通常は全体の抵抗値を減らしてトータルエネルギー低減の手段として考えられる空力を、むしろ乗り心地や快適性といった人との関係性からの視点で捉え直すことによって、振動低減という独自の機能を実現する新幹線デザインに至った経緯をご紹介され、インダストリアルデザイン表現における機能と関係性の視点の重要性をご紹介されていた。また金箱先生も江戸時代からつながる身体運用との関連の中で、その発想を生かしながらそれらを最新のデジタル技術で再考することにより、新しい楽器としての身体のあり方を提案され、また会場全員が参加するパフォーマンスの実演などで場に新たな関係性を生み出していただいた。

 前述したように、創造性が「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」であるとするとこのグローバル時代だからこそ、我々はもっと我々自身の中に無意識のうちに身体化されている可能性がある日本文化の特徴をもう一度意識化し、それをいかに現代に価値として翻訳できるのかを真剣に考えるべき時になっているように思える。そういった観点からは今回の「江戸文化」という視点はいくつかのヒントをいただけたようにも思う。それらは連歌における場を転換する発想力の重要性や、日常と異なる仲間との「関係性」の構築であり、その表現としての別名(狂名など)や、SDGsにもつながるエコシステムとしての循環社会のあり方などである。今回の講演会はグローバル時代に世界に認められる固有の「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」創出への方法論の一つの可能性を探るトライであった。これからもデザインにおける価値創造の視点に、我々の様々な「関係性」への眼差しを意識しつつデザインを考えていきたいと思う。

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