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教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 2回コラム

    「安全・安心」

    産業技術大学院大学研究科長 川田誠一

 「明るい未来」と「一寸先は闇」という言葉が対になって頭をよぎるのは、昨今の経済情勢のせいだけではない。産業技術に携わる人間は、「明るい未来」を実現するために日々現実の課題を解決し、「一寸先は闇」とならないよう努力しているからである。このような産業技術にかかわるエンジニアは、自身の持つ技術力を駆使して、社会の繁栄に貢献している。ここで、エンジニアリングとサイエンスの違いを考えてみると、サイエンスは真理を追究することが目的であるのに対して、エンジニアリングは人間の夢を実現することを目的としていることにそれぞれの特色があるのだと思う。そして、エンジニアが具現化した多くの産業プロセスが順調に運転されることで、人々の手に具体的な形となった製品が届けられるのである。しかし、人間が作り出した製品には当然のことながら始まりと終わりがある。産業プロセスも然りである。プラントには寿命があり、その前兆としての異常や故障が出現するのである。高温、高圧、危険な物質の存在など、人間の日常の営みには程遠い環境を人工的に実現し、操作し、制御することで、人々の役に立つモノ作りがなされている。しかし、その製造現場の安全には十分な注意がはらわれなければならない。人間の常識を超えた環境を人工的に実現しているからこそ、安全を必要以上に意識する必要がある。


 このような安心・安全について語る上で、ジェームズ・ワットが蒸気機関の改良を始めてからの歴史を忘れるわけにはいかない。ワットの主要な貢献とされているのは、ニューコメン・エンジンに代表される蒸気機関の効率を改善するために凝縮機とシリンダーを分離したことである。このことで飛躍的に熱効率が改善されたのである。さらに彼は、風車で粉を挽くシステムに取り付けられていた遠心調速器を彼の蒸気機関に取り付け、回転数を一定に制御した。従来の蒸気機関の多くは往復動を利用したスチームハンマーなどが主たる用途であり、ワットの蒸気機関を用いて良質な回転動力が得られるようになると、旋盤などの工作機械が人力以上の動力で運転できるようになったのである。また、他者の特許に抵触しない遊星歯車による減速装置の発明、最後に自身が開発した蒸気機関の優位性を評価する尺度として馬力という仕事率(動力)を表現する単位を考案したことである。このことから動力の単位にはワット(W=J/sec)が用いられている。まさにビジネスに直結した発明である。

 ワットは、蒸気の力の大きさを十分に理解していたため、彼の蒸気機関は負圧を利用する大気圧機関であった。1気圧以上の力を用いることを避けたのである。しかし、人間の欲望はワットの思う通りにはならなかった。積極的に蒸気を利用しようとする高圧の機関が開発されたのである。結果は、1815年のボイラー破裂事故である。その後も出力が増大するとともに破裂事故も増大したが、最終的に法制度の整備が行われ、第三者検査機関、資格制度の導入、保険の導入などが実施された後に破裂事故は激減している。安心・安全を確保して技術を発展させるには、社会制度の整備が重要であることがよくわかる事例である。


 「一寸先は闇」の世界に技術の灯を照らし、思わぬ落とし穴に落ちることのない安心・安全な社会を実現することにエンジニアは貢献してきたのである。しかし、産業分野はあまりにも広範であり、あまねく安全を重視した技術が浸透しているとは言い難い。これは「コスト」の問題や、「もったいない」という言葉に象徴される日本社会の美意識からくるのであろうか、古い設備を使い続け、耐久年数の判断を誤り重大な事故に至ることもある。やはり、安全に関する技術が「コスト」としてのみ捉えられがちであり、「価値」として理解され難いことに大きな要因があるのだと考える。


 しかし、安全に関する技術は「価値」、「もったいない」という観点と決して背反するものではない。むしろ、新しいビジネスを展開することで、「価値」を獲得できる道があるものと考える。そして、安全が実現され、人々が技術に対して安心感を持つことができてこそ「もったいない」に象徴される不必要な無駄を排除できるのである。そのためには、現在の技術課題を解決するだけではなく、社会制度の見直しや、技術とビジネスの仕組みを変革する取り組みが必要となるであろう。

 (本原稿は、JEITA 制御システム専門委員会2008年度調査報告書『予知保全技術に関する調査報告書~21世紀のプラントの安心・安全操業の実現のために~』に川田が寄稿した巻頭言を元に加筆修正したものです。)

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