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教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 41回コラム

    「模倣と独創の狭間で;日本の技術者へのエール」

    情報アーキテクチャ専攻 教授 嶋田茂

 最近、科学技術からスポーツや政治に至るあらゆる分野において、日本の世界に与える影響力が低下しており、いわゆる元気のない停滞状況に留まらず、むしろ負のサイクルが始まっているといったマスコミ報道が盛んになっている。

 技術分野に目を向ければ、韓国からの半導体メモリや液晶製品の台頭や中国からの新幹線技術の輸出などの状況を鑑みるに、これらはかつての日本の技術を模倣したものに過ぎなく、独創的なものではないといった日本の技術者からの批判(負け惜しみ?)をよく聞くようになっているものの、それを特許でライセンス請求する状況にもなく、元気が全くない。一方、日本オリジナルの独創的な技術を用いた製品に関しても、世界的なインパクトを与えることができず、それらの技術の先行性は無視されつつある。その中でも特にIT分野における日本発の情報発信力の停滞は著しく、ガラパゴス化の揶揄表現のもとに、一時は世界最先端といわれていた「携帯電話」から「カーナビ」の分野にまで及んでいる。

 そもそも、日本における携帯電話の技術開発は、世界に先駆けて高速携帯通信網の整備からi-modeに代表されるインターネットインタフェース、モバイルゲームインタフェース、地デジに代表される放送インタフェース、お財布携帯機能など、数々の最先端機能を実現させてきており、考えられるほとんどの情報サービスを先行的に実現させてきた。にもかかわらず、これらの技術のいずれも世界的なトレンドを形成することができていない。むしろスマートフォンに代表される新興技術の影響が強く、新たなトレンドとして定着されようとしている。

 一方、「カーナビ」の分野においても、GPSの民生製品への世界初の導入に始まり、マップマッチング、高度な経路探索、渋滞予測、リアルタイム地図更新など、世界に先駆けた最先端技術の開発を実現させてきた。それにも拘わらず、欧米におけるカーナビゲーションのトレンドは日本の「カーナビ」ではなく、取り外しが容易な形式でナビゲーション機能に特化したシンプルな構成のPND(Personal Navigation Devices)が主流となっている。

 このような日本の技術の停滞状況は、模倣と独創の狭間における負のサイクルとみることができ、この状況からの脱出が、今後の日本の技術者に課せられた最大の課題であると言える。果たしてこのような負のサイクルを打開するような特効薬はあるのであろうか。

 この問いに対して、月並みながら私からの見解として、「模倣を排除した独創だけに凝り固まることなかれ」と申し上げたい。

 確かに、いきなり独創的で世界にインパクトを与えられるような技術が開発できればよいのであるが、それを開発する技術者の発想の原点となる知識や環境が影響するため、必ずしも最初から成果になるような評価には至らず、多くの発想は捨て去られてしまう。この独創のプロセスは、一定の評価が得られるような状況になるまで発想と評価を繰り返すことになるのであるが、その場合の熱意がどれだけ持続させることができるかも独創を生み出すためのファクターとなるようである。

 模倣を一切行わないといったある種の独創アレルギー的な発想では、疲れてしまうのではないかと思われる。現在の中国に代表される新興国における「追いつけ追い越せ」の模倣的な発想は、選択枝を制限して開発エネルギーの集中化を呼び込む効果が絶大であり、このような独創アレルギー的な疲れはほとんどないのではなかろうか。

 先進国においては、模倣した技術そのものを使って事業展開を行うには、批判が大きく事業展開上の障壁が立ちはだかることになるが、その模倣したファクターを組み合わせることにより得られた新たな創造物であるならば、模倣に対する批判は少なくなるのではないかと思う。

 フランスの数学者/科学思想家のアンリ・ポアンカレはこう言っている。「発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない有用な組み合わせを作ることである。即ち発明とは見抜くことであり、選択することである」。この組み合わせのファクター自体は必ずしも独創である必要はなく、模倣物でもよいと考える。例えば、世界的に新たなトレンドを形成しつつあるスマートフォンやPNDに関して、日本の技術が完全に無視されているかというとそうではなく、むしろ発展的な形式で日本技術の模倣が起こっているといえる。例えば、日本の「携帯電話」のお財布携帯の機能は、スマートフォンでの対応がやっと始まったばかりであり、「カーナビ」における渋滞予測機能も、PNDにやっと装備され始めた段階である。特に、スマートフォンのコンセプトは、iPhoneを発明したApple社のSteven Jobsの長年に及ぶ試行錯誤から得られたものであり、携帯電話分野では後発であった米国のモバイル通信端末分野で何とかブレークスルーを見出そうとした努力の結晶とみるべきであろう。i-Phoneコンセプトが生まれる経緯の詳細はここでは触れないが、日本の携帯電話のi-Modeや米国のモバイルフォンでヒットしたBlackberryを参考にして、検討を重ねた末の結果であり、最初から独創的に作成されたものとは必ずしも言えない。むしろ、既存の技術の模倣的な部分はかなりあると考えてもよいのではないと思われる。

 このような組合せのファクターとして、日本の技術の先進性が認められ採用されているにもかかわらず、これらの分野で活躍してきた日本の技術者の評価は必ずしも高くなく、むしろガラパゴス技術といった自己満足的な技術開発への批判が高まるばかりで、益々元気をなくす状況になっているのではなかろうか。

 携帯やカーナビ等の分野では当面のターゲットが実現完了した状況にあるとして、次のターゲットが明確に定まらないこともあり、新たな技術開発に向けた準備期間が結果的に活動の停滞に見えるような状況が起こっているのは事実であろう。これに輪をかけて、マスコミがこの停滞状況を揶揄する状況にあり、その対応が技術開発側へ一方的に求められている。

 このことから、今後の日本における技術の発展のためには、現行の世界のトレンドを見直し、模倣すべきものがあってもよいのではないかと思われる。またその状況を報道するマスコミに対しては、日本の技術者がとる模倣の行為を一概に否定するのではなく、技術の発展途上での一里塚として認め、包容力ある対応を取るべきであると要請したい。そうしないと、技術に携わる者に新たな独創性だけしか認めないといった重圧を与えかねないことになり、益々日本の技術者の元気がそぐわれるような危惧を感じる。 最近、科学技術からスポーツや政治に至るあらゆる分野において、日本の世界に与える影響力が低下しており、いわゆる元気のない停滞状況に留まらず、むしろ負のサイクルが始まっているといったマスコミ報道が盛んになっている。

 技術分野に目を向ければ、韓国からの半導体メモリや液晶製品の台頭や中国からの新幹線技術の輸出などの状況を鑑みるに、これらはかつての日本の技術を模倣したものに過ぎなく、独創的なものではないといった日本の技術者からの批判(負け惜しみ?)をよく聞くようになっているものの、それを特許でライセンス請求する状況にもなく、元気が全くない。一方、日本オリジナルの独創的な技術を用いた製品に関しても、世界的なインパクトを与えることができず、それらの技術の先行性は無視されつつある。その中でも特にIT分野における日本発の情報発信力の停滞は著しく、ガラパゴス化の揶揄表現のもとに、一時は世界最先端といわれていた「携帯電話」から「カーナビ」の分野にまで及んでいる。

 そもそも、日本における携帯電話の技術開発は、世界に先駆けて高速携帯通信網の整備からi-modeに代表されるインターネットインタフェース、モバイルゲームインタフェース、地デジに代表される放送インタフェース、お財布携帯機能など、数々の最先端機能を実現させてきており、考えられるほとんどの情報サービスを先行的に実現させてきた。にもかかわらず、これらの技術のいずれも世界的なトレンドを形成することができていない。むしろスマートフォンに代表される新興技術の影響が強く、新たなトレンドとして定着されようとしている。

 一方、「カーナビ」の分野においても、GPSの民生製品への世界初の導入に始まり、マップマッチング、高度な経路探索、渋滞予測、リアルタイム地図更新など、世界に先駆けた最先端技術の開発を実現させてきた。それにも拘わらず、欧米におけるカーナビゲーションのトレンドは日本の「カーナビ」ではなく、取り外しが容易な形式でナビゲーション機能に特化したシンプルな構成のPND(Personal Navigation Devices)が主流となっている。

 このような日本の技術の停滞状況は、模倣と独創の狭間における負のサイクルとみることができ、この状況からの脱出が、今後の日本の技術者に課せられた最大の課題であると言える。果たしてこのような負のサイクルを打開するような特効薬はあるのであろうか。

 この問いに対して、月並みながら私からの見解として、「模倣を排除した独創だけに凝り固まることなかれ」と申し上げたい。

 確かに、いきなり独創的で世界にインパクトを与えられるような技術が開発できればよいのであるが、それを開発する技術者の発想の原点となる知識や環境が影響するため、必ずしも最初から成果になるような評価には至らず、多くの発想は捨て去られてしまう。この独創のプロセスは、一定の評価が得られるような状況になるまで発想と評価を繰り返すことになるのであるが、その場合の熱意がどれだけ持続させることができるかも独創を生み出すためのファクターとなるようである。

 模倣を一切行わないといったある種の独創アレルギー的な発想では、疲れてしまうのではないかと思われる。現在の中国に代表される新興国における「追いつけ追い越せ」の模倣的な発想は、選択枝を制限して開発エネルギーの集中化を呼び込む効果が絶大であり、このような独創アレルギー的な疲れはほとんどないのではなかろうか。

 先進国においては、模倣した技術そのものを使って事業展開を行うには、批判が大きく事業展開上の障壁が立ちはだかることになるが、その模倣したファクターを組み合わせることにより得られた新たな創造物であるならば、模倣に対する批判は少なくなるのではないかと思う。

 フランスの数学者/科学思想家のアンリ・ポアンカレはこう言っている。「発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない有用な組み合わせを作ることである。即ち発明とは見抜くことであり、選択することである」。この組み合わせのファクター自体は必ずしも独創である必要はなく、模倣物でもよいと考える。例えば、世界的に新たなトレンドを形成しつつあるスマートフォンやPNDに関して、日本の技術が完全に無視されているかというとそうではなく、むしろ発展的な形式で日本技術の模倣が起こっているといえる。例えば、日本の「携帯電話」のお財布携帯の機能は、スマートフォンでの対応がやっと始まったばかりであり、「カーナビ」における渋滞予測機能も、PNDにやっと装備され始めた段階である。特に、スマートフォンのコンセプトは、iPhoneを発明したApple社のSteven Jobsの長年に及ぶ試行錯誤から得られたものであり、携帯電話分野では後発であった米国のモバイル通信端末分野で何とかブレークスルーを見出そうとした努力の結晶とみるべきであろう。i-Phoneコンセプトが生まれる経緯の詳細はここでは触れないが、日本の携帯電話のi-Modeや米国のモバイルフォンでヒットしたBlackberryを参考にして、検討を重ねた末の結果であり、最初から独創的に作成されたものとは必ずしも言えない。むしろ、既存の技術の模倣的な部分はかなりあると考えてもよいのではないと思われる。

 このような組合せのファクターとして、日本の技術の先進性が認められ採用されているにもかかわらず、これらの分野で活躍してきた日本の技術者の評価は必ずしも高くなく、むしろガラパゴス技術といった自己満足的な技術開発への批判が高まるばかりで、益々元気をなくす状況になっているのではなかろうか。

 携帯やカーナビ等の分野では当面のターゲットが実現完了した状況にあるとして、次のターゲットが明確に定まらないこともあり、新たな技術開発に向けた準備期間が結果的に活動の停滞に見えるような状況が起こっているのは事実であろう。これに輪をかけて、マスコミがこの停滞状況を揶揄する状況にあり、その対応が技術開発側へ一方的に求められている。

 このことから、今後の日本における技術の発展のためには、現行の世界のトレンドを見直し、模倣すべきものがあってもよいのではないかと思われる。またその状況を報道するマスコミに対しては、日本の技術者がとる模倣の行為を一概に否定するのではなく、技術の発展途上での一里塚として認め、包容力ある対応を取るべきであると要請したい。そうしないと、技術に携わる者に新たな独創性だけしか認めないといった重圧を与えかねないことになり、益々日本の技術者の元気がそぐわれるような危惧を感じる。

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