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教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 35回コラム

    「『スケッチのすすめ』-イノベーションを目指すすべての人へ」

    産業技術大学院大学 創造技術専攻専攻長・教授 福田 哲夫

 素描(サムネイル/ラフスケッチ、イメージスケッチなど*)から精密描写(デザインスケッチ、レンダリングなど*)まで、いわゆるスケッチを描く意味には大きく分けて二つある。一つ目は観察メモなど自分のために描くもの。二つ目は自分の意思を相手に伝えるために描くものである。特に素描によるスケッチは、手間と費用がほとんど掛からない可視化技術として優れている。

 スケッチは、瞬時に全部を写し取る写真とは違い、観察結果から自分の感じたところだけを絞り込み表現することが可能なのである。対象物の特徴を捉えて描写することであり、上手下手という評価にはあまり意味が無い。
 またスケッチは主観的な一人称の情報として意味があり、自身のアイデア抽出には欠かせない手法のひとつである。既に加工された二次情報とは一線を画すものであることを特筆しておきたい。更にスケッチは、時間をかけずに目の前で再現あるいは創造出来ることから、第三者への具体的で直感的な視覚伝達手段としても優れている。ものづくりの上流工程におけるシーンスケッチ(*)は、図面以前の抽象的設計概念を語り理解を深めるために必要不可欠なツールとして実務では有効に使われている

 古来より図像情報(スケッチ)は文字情報とともにコミュニケーションのための基本的ツールであり、旧石器時代末期といわれるアルタミラ洞窟壁画に描かれた牛馬他の多数の動物たちには、その土地や狩猟の様子を今日に伝えている。ルネサンス期のレオナルド・ダ・ビンチもまた膨大な手稿を残しており、詳細にわたる観察スケッチから発想に繋がる概念スケッチまで、文章とともに描いている。その後のイノベーションに繋がるような内容を知るにつけ発想法の原点として見習いたい。

 イデア発想法としては、ジェームス・W・ヤングやジャック・フォスターら多くの実務家が異口同音に述べている。要は観察等を十分に尽くし、咀嚼後はしばらくリラックスして放置すれば、アイデアは突然向こうからやってくるものである…孵化するまで待つこと、と解釈できる。
 デザイン行為は一般にこのような観察からはじまる。気付きや感動、あるいは衝撃的出来事、疑問点などがあれば、思いつき程度のアイデアでもメモスケッチとして記録しておくと良い。たった一枚のスケッチが、ある瞬間に時を超えたイノベーションとして繋がる可能性もあることを、これまでの実務経験からひとつのエピソードとしてお話ししたい。

 四半世紀ほど前の1985年8月12日、ジャンボ機墜落事故の報道に驚き描いた“一枚のスケッチ”のことである。

 デザイナーとしての観察眼と自問自答の発想癖からは、垂直尾翼周辺の異常から迷走の末墜落に至る状況を憂えて、大勢の尊い命を落とさずに澄むような安全で安定飛行が可能な機体アイデアはないのかとの想いから、垂直尾翼の無い機体の概念スケッチを描き残している。この発想が十年程後に携わる新幹線車両開発プロジェクトにおいて、それまでの大きな工学的技術課題であった騒音低減と動揺抑制を一気に解決する、複合型先頭形状発想の原点となった。

 そのプロジェクトでは内外装のデザインを担当し、相反する諸条件の整合性や、多分野に股がる工学的要素の審美的統合を目指した。迷路の様な命題解決への糸口や文脈は単純ではなかったが、複雑多岐にわたるメンバー間の共通認識には、書類に描いたスケッチの他、即興で白版に描くスケッチを伴う議論が有効であり、早期解決を促すことに気付いた。これまで何の脈絡もなく記憶の外に忘れていたこの一枚のアイデアスケッチは、ある命題に出合うことにより蓄積された記憶が蘇り次々と連鎖反応的に繋がった例であり、複数の技術課題を一気に克服することが出来た瞬間でもあった。

 完成後にマスコミより付けられたその先頭形状のニックネームは「カモノハシ」。その独特の形態は航空力学の世界で用いるエリアルールの発展型として考えたもので、営業運転された鉄道車両への応用は世界初の試みである。その後の世界の高速車両のトレンドとして影響を与えていることは言うまでもない。

 講義の他、イノベーションを目論み研究室を訪ねる諸兄には、日常のトレーニング用としてスケッチブックの携行と観察を薦めている。小職書架には、スケッチブックが一尋ほどの場所を占めて並んでおり、これまで何年にもわたり訪れた街の風景から、お気に入りの物や感動のシーンまで、何でも拘らずに文章を添えて描き貯めてある。日記帳との違いは自分の問題意識や嗜好の変化がページを捲るだけで一目瞭然に現れていることか。動物園や水族館の見学では、訪れる度に生物の動きから問題解決の糸口を学ぶこともあり、発見と感動の連続である。子供騙しと笑う事勿れ、モノづくりにおける新感性価値創造には、その感動をこそ”組み立て”可視化する技術がなければ何も起らない。

 メモ用カメラで瞬時に撮影した画像は、その詳細まで記憶出来るわけもなく、後でアルバムを覗いてもまた覚えていないことの方が多い。一方、描き終わるまで終止対象物と向き合った箇所は、現場での感動が筆触とともに記憶の底に染み込んでいる。ボールペンやサインペンで描く素描のため一切着彩はしていないが、ページを捲ると不思議なもので、描いた当時の色彩からシーンまでが鮮明に蘇ってくる。また不鮮明で見えない分だけ逆に想像力が働き、かえってアイデアは増幅されイメージが膨らむ場合もある。感動を”組み立て”可視化するスケッチの活用を、是非お薦めしたい。

 最先端の多機能情報端末も良いけれど…机上、鞍上、厠上という言葉もある。発想には、省エネ型で電源いらずのスケッチブックというエコデザインツールを携行し、自らの充電のために街へ飛び出そう!

 *スケッチについては『プロダクトデザイン-商品開発に関わるすべての人へ』第8章-58(p.138-p.139):スケッチ、第8章-59(p.140-p.141):レンダリング 〈日本インダストリアルデザイナー協会編/共著/2009/ワークスコーポレーション刊〉を御覧戴きたい。

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