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教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 22回コラム

    「『キンドル』の日本上陸に思うこと」

    創造技術専攻 助教 陳俊甫

 近頃、日本経済新聞の記事に「出版業界に電子配信の波」、「出版が変わる」、「書籍ネット販売で巻き返せ」、「電子書籍混戦」というタイトルの多さが目を引く。これらの記事を読むと、どうやらその震源地は米ネット販売大手アマゾン・ドットコムにあるらしい。つまり、2009年10月19日に、同社は日本を含む100ヵ国向けに電子書籍端末「キンドル」を発売し、それが日本の出版業界をはじめとする関連業界に大きな衝撃を与えていたということである。

 「キンドル」は、画面を電気的に書き換える白黒表示の電子ペーパーを採用し、第3世代携帯電話の電話網を無線経由して書籍や新聞、雑誌などのコンテンツを60秒以内にダウンロードし購読できるという優れものである。2007年秋に米国で発売されて以来、好調な売れ行きが続いている。今回、日本などで発売されたのは第2世代の「キンドル」である。

 しかし周知のように、出版物のネット配信については、KDDIは2003年からEZweb上で書籍の配信を開始した。電子書籍端末に関しても、ソニーは米アマゾン・ドットコムより先に欧米市場で電子書籍端末「リブリエ」を売り出していた。さらに、日経エレクトロニクス誌の分解報告によれば、「キンドル」の初代製品は単に電子書籍端末としての基本機能を果たせるための部品寄せ集めにすぎず、その2代目の製品からようやく日本企業の初代製品のように緻密な設計思想が持ち込まれるようになったのである。

 つまり、ビジネスモデルの観点にしろ、プロダクト・イノベーションの観点にしろ、また技術力と製品開発力の観点からにしろ、いずれも日本企業にとって、「キンドル」は驚くほどのイノベーションではないはずである。それにもかかわらず、この「キンドル」の日本上陸に対し、従来の日本コンテンツ業界では「黒船の襲来」と危機感をあらわにする一方で、電子デバイス関連の企業では、いったん電子書籍端末市場から撤退した後、再び同市場に参入した。それに、正式な参入までいかないものの、こぞってカラー化した電子ペーパーを開発し、より高度な技術を以て同市場に踏み込もうと表明するメーカーも少なくなかった。

 このようなコンテンツ業界の危惧と電子デバイス業界の技術革新への意気込みを理解できないわけではないが、なぜ、アマゾン・ドットコムのようなネット販売業者がコンテンツからそれを再生するハードウェアまで手かけることに成功したのであろうか。なぜ、日本企業がすばらしいビジネスモデルを創出したものの、それを発展させることができなかったのであろうか。なぜ、日本企業が科学技術力と製品開発力の面で勝っているにもかかわらず、イノベーションのインパクトや収益の面で海外企業に及ばないのであろうかについて、もっと深く考える必要があるように思われる。

 イノベーション・マネジメントの目的は、技術や商品を通じて社会と企業に最大の付加価値をもたらすことにある。これまでイノベーション・マネジメントの中で、大きく二つの視座がある。一つは、イノベーションを技術開発の延長線上にある商業化プロセスと捉える立場であり、もう一つは、技術を中核に置きつつ、市場、組織、戦略及び事業化のバリューチェーンを強調するシステム的な立場である。前者は、技術がイノベーションを主導する主要因として捉えすぎたために、イノベーションのもつシステム性を把握し切れない欠点がある。それに対して、後者はイノベーションに関わる多くの要因を含んでいるのは良いが、その反面、技術要因の重要性を弱化させるきらいがある。とはいえ、この二つの視座はそれぞれ長短があるものの、上記のようなイノベーション課題を紐解くために有力な切り口を与えてくれることが多い。

 以上のようなことを踏まえ、このコラムではイノベーションに興味あるが、どこから勉強を始めればよいかと分からない方に、ぜひ一度「キンドル」の日本上陸をエクササイズに、日本企業のイノベーションと比較しながら考えてみることを勧めしたい。身近な事例を分析することによって、イノベーションに関する認識を深めることができるだけでなく、ひょっとすると自ら日本企業の現状を打開しうるヒントを見つけられるかもしれないからである。

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