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教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 19回コラム

    「合資会社ニューメリックの思い出」

    情報アーキテクチャ専攻准教授  中鉢欣秀

 私は自ら会社を設立し、運営した経験がある。会社を設立したのは1997年の11月だ。おりしも、いわゆる第三次ベンチャーブームが沈静化したころである。ベンチャーブームの時は会社設立など考えていなかったが、下火になったので設立することにした。

 会社の名前は「合資会社ニューメリック」である。ソフトウェアの受託開発、大学と連携した研究開発、コンサルテーション、教育ビジネスなどを行ってきた。社長として経営に携わっていたが、本学就任以前に経営を全て後輩に委ねて、私は退社した。

 その会社が、近々、現社長のもとで店じまいをすることになった。設立してちょうど12年である。多少感慨深いものがあるので、せっかくだからこの機に、思い出話を交えながらベンチャー経営の経験について語ってみたい。

 ニューメリックが他の大学発のベンチャー企業と大きく異なっていた点がある。それは、大学に軸足を置きながら会社を経営したことである。あの頃、大学では学生が大学を飛び出す形でベンチャーに飛び込んだ例が多かった。それとは対照的である。

 大学での研究活動に片足つっこみながらの経営のメリットは、人的資源を容易に大学から獲得できたことである。簡単に言えば、研究室の後輩の学生などに仕事を手伝ってもらうということだ。一時期、そんな社員が7名ほどいた。

 また、大学の研究と産業界の橋渡しとしての役割を担うことができた。企業と大学との連携として一般的な共同研究などとは別の形で、産学連携を行ってきた。大学の教員を含めた知的資産を、私の会社が間に入る形で社会に還元できたという自負はある。

 会社を運営していて一番やっかいだったのは、ソフトウェアの業界ではありがちな一次請け、二次請け・・・と続くヒエラルキーの構造である。我々の会社が仕事を受けるときは末端になることが多かった。このことでいろいろと苦汁をなめたが、語り始めると愚痴になるのでやめておく。今ではよい経験をさせてもらったと思っている。

 さて、その後私は研究・教育の方に主軸を移して現在に至っている。よく、なぜ会社をやめて大学の教員になったのかと聞かれることがある。その理由は、(かっこよくいえば)教育と研究を通して、もっと大きな視点から日本の情報産業界に役立ちたい、と思ったからだ。

 ITのビジネスをやっていて痛烈に感じたのは、世界的な視野に立ったときの、日本の情報産業の競争力のなさだ。日本には世界のスタンダードとなっているソフトウェア技術が無いに等しい。優秀なエンジニアが存在するにもかかわらず、実際の仕事は周囲から3Kと揶揄されるくらい厳しい。

 日本の情報産業界を幸せにするにはどうしたらよいか。少々大げさではあるが、私自信の大きなテーマである。今後とも、大学の教員という立場から、この問題に取り組んでいきたいと思う。

 最後に、本学で私が教えた皆さんが、将来、起業してくれたら嬉しい。強い志を持って、新しいビジネスにチャレンジしていこうと決意する学生が登場してほしい。私の起業から得た経験は大したものではないが、そんな皆さんがいたら全力を挙げて応援したいと思っている。

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