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教員連載コラム

不確かな未来との対話

  • 83回コラム

    CMFから考えるプロダクトデザインの未来

    創造技術専攻 海老澤 伸樹 教授

 皆さんはCMFと言う言葉をお聞きになったことはあるでしょうか。最近、プロダクトデザインの世界では、耳にする機会が増えました。この言葉はColor, Material, Finishの頭文字を組み合わせたものです。自動車メーカーや電機業界のデザイン部門の方の名刺にCMF担当などと書かれているのをよく目にします。昔は単純にカラー担当とか、カラーデザインなどと言っていたのですが、プロダクトデザインの世界では、現在はCMFと言う言い方が一般的になっています。つい最近、この概念と言葉を、日本に導入して普及させたM.Tさんのお話を伺う貴重な機会がありました。そのお話を伺って、ちょっと考えたことをこのコラムに書きたいと思います。
 以前はプロダクト製品の最終的な表面処理は、単純な塗装やメッキ、絞(シボ:インジェクション成型などのプラスチック製品の表面につけられた、例えば皮のような模様)など限定的でしたが、現在はこのCMFという言葉に代表されるように塗装のような色だけではなく、その素材や素材感、また表現や触覚に影響を与える表面処理の複合的な組み合わせによる複雑な表現に進化しています。車のように基本は金属面に塗装された処理でも、何層にもクリヤー層や反射素材を含んだ層などを重ね合わせて、光の状態や見る角度によって異なる、非常に複雑な効果を持った色合いに変化しています。単純に何色と言葉で表現できないような色彩も増えています。M.Tさんによると、これは一つにはこれらのCMFが創り出す『感性価値』が購入の大きな動機付けになるという時代背景が大きいということです。
 すべての製品の品質が向上し、機能の差が実感しにくい現在においては、お客様の購入動機が機能価値から感性価値に移行しているという背景があるようです。もともと人は全情報の8割以上を視覚情報から得ていると言われていますが、更にその視覚情報の8割が色の情報ということです。確かに自分の様々なモノや情景の記憶に残ってくるのは、形よりも色のインパクトの方が強いと感じます。私が関わっていた自動車デザインにおいても、特に女性の車の購入動機にはカラーという部分が大きなウェイトを占めていました。
 その色を更に複雑に見せ、物語性を与え、また触れた時の心地良さを総合的に付加していく要素として素材や表面加工があります。同じ色であっても素材や複雑な表面処理などの違いによって全く異なる表情を見せます。例えば塗料を磨かれた金属表面に塗った時と多孔質の木材のような素材に塗った時は全く異なった色に感じますし、もし表面が平滑でなく何らかのパターンのような立体形状を有していれば、さらに異なる見え方や感触を与えます。CMFはこのように製品の、人に対するモノとしてのインターフェースを総合的にデザインしていくという概念で括ることができると考えます。
 M.Tさんのお話の中で最も印象的だった言葉がありました。「現代のプロダクトデザインにおいては、どんどん形がなくなっていく」という言葉です。例えば情報化の進展で、携帯がスマートフォンに進化したことを考えるとこの言葉は理解しやすいと思います。昔の携帯電話は表面に小さなハードキーをたくさん並べていました。電話番号を打ち込む10キーだけでなく様々な機能ボタン、中にはそれこそ細かなアルファベットキーを並べたブラックベリーのような機種までありました。それがスマートフォンに変化した現在は、ほぼどの機種も表面はガラスのような液晶画面とホームボタンぐらいしかありません。
 日本のある著名なインダストリアルデザイナーの方が、将来プロダクトデザインは空間とウェラブルに二極化していくというようなことを言っていたという記憶もあります。あらゆるモノがインターネットとつながるIoT時代においても、インターフェースのために何らかのモノが必ず必要に違いないと考えていましたが、最近のアマゾンの「エコー」のようないわゆるAIスピーカーなどの進化を見ると、空間そのものがインターフェースを担っていくのも夢ではないかもしれません。
 ただ個人的には「道具を持った猿」が人類の起源とすれば、人が人である限りモノは無くならないと思います。ただ「形がなくなる」というようにモノのフォルムや形状の意味性は失われ、その価値は重要なものではなくなってくることも事実です。たとえ、モノが二極化して「空間とウェラブル」な存在となっても、空間を構成する壁のテクスチャーは残るし、ウェラブルなモノは形でなく肌に触れる物理的な感触などのインターフェースが重要になってくる可能性もあります。またより身体的な倍力装置としてのモノ(例えばハンマーのような道具から自転車のようなシンプルな機械的道具類)はどうでしょう。基本の機能形態に大きな変革がない以上、おそらく道具としての進化は、使い心地の良さのような人との物理的インターフェースにその違いを求めるようになる可能性が大きいと思います。ここにCMFがデザインという行為において、より重要となる可能性が垣間見えます。
 昔は革新的な製品デザインで時代をリードしたS社も、プロダクトデザインの観点からは、長らく往年の魅力を失っている期間が続いていました。しかし、最近発表された新しい有機TVでは画面そのものを振動させてスピーカーとして使用し、さらに極限まで画面フレームの存在感をなくすと同時にスタンドも正面からは見えなくすることで、「映像だけが浮かんでいるような」デザインを実現したと訴求しています。まさしく意識としてモノとしての形は消えているのです。このメーカーは、これからはお客様の五感を刺激する “ラストワンインチ”を重視していくと宣言しています。この言葉は、通信業界から始まってモビリティなどの世界でもよく使用されていた“ラストワンマイル”という言葉から演繹されているものでしょう。元来はインフラとしての通信網などと最後の直接的な利用者を結ぶ手段の問題を指していました。例えば通信網と個々のお客様の家庭や機器をどう接続するかとか、公共交通機関のターミナルと自宅との間をどう移動するかというような問題です。この“ラストワンインチ”という言葉に現代のプロダクトデザインの方向性が表現されている印象があり、とても心に残りました。人の感性に訴える画面デザインなどの情報インターフェースのあり方と、その情報インターフェースを伝える何らかのモノの物理的インターフェースがとても重要となる。しかし、そこには前述のTVの例のように、モノとしてのフォルムや形の存在は消えて、ただ物理的インターフェースとしてのCMFだけが残っているのかもしれません。プロダクトデザインの一端が形やフォルムからCMFに変化していくことを示唆しているように思え、個人的に大変に印象的です。  
 こんなことを考えていたら、なんとなく最近の日本車のデザインが妙に複雑な形や、過剰な線や面で構成されている理由がわかったような気がしました。もしかすると車のデザイナーたちはこのような時代の価値観の変化を直感的に感じながらも、それだからこそ自らのアイデンティティの証明とそれへの抵抗として、より複雑な形を提案し続けているのかもしれません。

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